大阪教育大学教授 森田英嗣 氏
うえまち教室
うえまち教室㉑ 学校探訪(20)特別編 2016年5月号
おおかみ学童クラブ 保護者会 富田晃彦 氏に聞く
20回目は特別編として、中央区のおおかみ学童クラブを訪問。子どもを通わせる保護者であり大阪市学童保育連絡協議会長も務める富田晃彦氏に大阪教育大学教授の森田英嗣氏が話を聞きました。
安心できる放課後の〝家〟 地域に
富田晃彦氏 学童保育は、共働きや一人親家庭の子どもたちの放課後の生活を守る場所。親が仕事から帰ってくるまでの間、子どもたちが集団で毎日遊び、生活しています。
1997年、児童福祉法に学童保育が位置付けられ、2012年の「子ども子育て支援法」成立に伴い市町村が学童を設置する義務を負うことになりました。14年に設備および運営の基準、15年に保育内容を含めた指針が出され、全国の自治体では、学校の空き教室を利用して行政主導の学童保育を行う例が多くなっています。
一方、大阪市内の学童の多くは民設民営で、保護者が主体となって運営されています。これはよそにはない特色です。
全国初の本格的な「学童保育」は大阪市で始まりました。1950年代、働く父母たちが「子どもを鍵っ子にしたくない」「安心して働き続けたい」と自ら場所を確保し、指導員を雇い、留守家庭の子どもたちの帰る家をつくっていきました。それが始まりです。公の制度が後から追いつき現在の形になりましたが、当初は必要に迫られて市民が自力で立ち上げた。 その精神が今も受け継がれているのです。
他の自治体と異なり、開設場所の多くは地域の民家やアパートなどです。保護者が負担する月1~2万円の保育料と市からの補助金で、家賃や指導員の給料を賄っています。経営は非常に厳しい状況です。
しかし、長年培ってきた保育内容には自信があります。日々の活動内容は、指導員と保護者会の話し合いで取り決めたもの。「子どもにこんなふうに育ってほしい」という親の願い がそのまま保育に組み込まれているのです。
――民設民営で当事者である親たちが共同で運営してきたという歴史は素晴らしいですね。
私たち親子が参加している「おおかみ学童クラブ」は、中央区唯一の学童保育です。近隣の3小学校から1~6年生30人以上が参加する大所帯です。
学校が終わると、子どもたちはそれぞれ学年ごとに「ただいま」と帰ってくる。着替えて一息つくと、まず宿題。3時を過ぎると楽しみのおやつです。指導員と子どもたちが当番でおやつを用意します。遊び場所は近所の公園で、ドッジボールや鬼ごっこなどでひたすら遊びます。
けがやけんかは絶えませんが、自分たちで決めた保育内容なので文句を言う親はいません。屋内でもオセロやトランプ、将棋のほか、こま回し、けん玉など遊びは尽きません。
夏には親子キャンプや川遊び、運動会、子どもたちが計画した冬合宿や餅つき、地域の祭りへの参加など年間を通してさまざまな行事があります。
子どもたちは仲間と行事に取り組む中で協調性を養い、自主性や責任感を身に付けていきます。
親は子どもを預けっぱなしにせず、わが子が通う学童の運営に責任を持つ。親たちも参加する「共同の子育て」の姿勢を大切にしています。
――大阪市は92年から、全児童を対象にした「児童いきいき放課後事業」を実施しています。夕方6時まで子どもを預かっていますが、学童との違いは何ですか。
全ての小学校の空き教室で放課後実施しているのが「児童いきいき放課後事業」、いわゆる「いきいき」です。放課後、遊びやスポーツを通して児童の健全育成を図るのが目的で、文部科学省の管轄事業です。
一方、学童は厚生労働省の管轄で、夫婦共に働く留守家庭の児童を対象にして保育をしています。
学童は夜7時まで預かり、年間を通して開設日数が多い。「いきいき」は必要な時だけの参加ですが、学童保育は毎日継続して同じ仲間と過ごします。
「安心して過ごせるもう一つの家」とも言えるでしょう。学校とはまた違った環境で、地域に根付き、何十年も生きてきました。ご近所の方も、子どもが騒いでも「生活の音」として温かく見守ってくださる。本当にありがたいことです。
――子育てを通して子どもも親も地域に入り、生きる力を育んでいく。地域の一部としてある学童だからこそできる、こうした活動は、留守家庭の子どもだけでなく全ての子どもに体験してほしいことですね。
親の就労の形に関わらず、全ての子どもたちが「地域の中で放課後楽しく元気に過ごす」まちになってほしいと願っています。
子どもたちはやがて、いろんな人と関わりながら地域社会で生きていくことでしょう。犯罪や交通事故など心配は尽きませんが、もっとたくさんの大人が関わり、子どもがまちで存分に遊べるようにしていかなければなりません。
学童保育の保護者会が長年培ってきた保育のノウハウが、そんなまちづくりのお役に立てたらと思っています。
先日、地域のお寺のお花見会で子どもたちが自作の歌を披露しました。その歌詞の一部をご紹介します。 〈別掲〉
おおかみ学童クラブ
中央区神崎町2‐18松田ビル2、3階
1984年設立。中央小、南大江小、中大江小の児童30人以上が通う。下校時から夜7時までと土曜、長期休み期間も開設。クラブの名前は学童の黎明(れいめい)期に、ある女の子が、一致団結してという意味で動物のオオカミを提案し名付けたもの。
大阪市内の民間の学童保育は昨年度、106カ所2700人。
うえまち教室⑳ 学校探訪(19) 2016年4月号
大阪市立生魂小学校 井上淳司 校長に聞く
19回目は天王寺区区の大阪市立生魂小学校を訪問。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
都会の真ん中 少人数で絆を深める
井上淳司先生 本校は長年、少人数の家庭的な雰囲気の中で子どもを育んできました。都会の真ん中ではありますが、地域と一体となって一人一人に行き届く教育。それが本校の特色です。
2015年度の児童数は196人。平成以降、少子化で一時150人前後に落ち込みましたが、ここ数年再び増える傾向にあります。「教育環境が整っている天王寺区で子どもを育てたい」と親御さんが実家のある校区内に帰ってきたり、「小規模で子どもたちの仲が良い学校」という口コミを聞いて引っ越してきたりするケースが増えているのです。
校区内には生國魂神社や生玉公園、大阪市内有数の仏教寺院が集まる下寺町があります。人口密度が低く、おのずから単学級の学校になりました。3階建ての校舎は最初から、1学年単学級を想定して建てられたもの。現在は1年生と2年生が2学級ですが、少人数クラスで子どもたちはのびのびと学んでいます。
――人口が減り単学級化していく例はよく聞きますが、生魂小は伝統的に単学級の教育システムが整えられてきたのですね。少人数で子ども同士のつながりは強いのでは。
単学級の場合、6年間クラス替えがありません。その分、少人数であることを生かして1~6年生を11~12人の縦割り班に分けて活動する異年齢交流に力を入れています。
本校舎のロビーにそれぞれの班で作った旗が掲示してあります。「仲良し」「絆」といった文字が多く見受けられるように、子どもたちは年齢に関係なく遊び、非常に仲が良い。全児童がお互いの名前と顔、性格まで知っています。公園など学校の外でも、低学年の子が 困っていると高学年の子が声をかけたり、家まで連れて行ってあげたりします。上級生が下級生の面倒を見ることが当たり前になっており、「憧れられる存在になろう」と上級生の自覚も芽生えます。
校長として本校に着任して1年になります。日頃から名前を呼んで子どもに話しかけるよう心がけており、今では全員の顔と名前を覚えました。うちの子たちは本当に朗らかです。登校時に歩道橋の上から私を見つけると「校長せんせーい」と大きな声で呼んでくる。温かく穏やかな雰囲気の中で、子どもも教職員も楽しく学校生活を送っています。
――異年齢のつながりは、人間関係を築くというだけでなく、地域の安全という面からも良い効果があるのですね。校内が明るく家庭的な雰囲気であることは、地域にも良い影響を与えそうですね。
老人会と女性会が中心となった「子ども見守り隊」の皆さんは、「子どもたちからパワーをもらっています」とおっしゃってくださいます。非常にありがたいことです。
学校近くの生魂会館では、デイサービスの日に児童が出かけて行き、お年寄りと一緒に食事したり、手遊び歌や楽器の演奏で交流したりしています。
生魂幼稚園や四天王寺夕陽丘保育園、うえしおナーサリー、たにまちナーサリー、パドマ幼稚園など近隣の幼稚園や保育園との交流行事も盛んです。一緒に凧揚げしたり、自作のおもちゃやゲームで遊んだりすることもあり、そんなときは1年生も上級生ぶりを発揮しています。園児たちがやがて1年生として入学してくるときのことを見越した交流の場なのです。
――教育活動ではどのような特色がありますか。
10年前から、伝統芸能である「能楽」を教育活動に取り入れています。きっかけは、生國魂神社に伝わる「大阪薪能(たきぎのう)」のご縁。地域に太鼓方をされている能楽師の先生がいて、その方の協力と文化庁の「文化芸術による子供の育成事業」の助成を受け年数回、能楽体験を行っています。
先生はうちの元PTA会長さん。気安いのですが、稽古のときは厳しい。太鼓や大鼓、小鼓、笛の稽古のほか、すり足や能面をかける体験に、どの子も真剣な表情で臨んでいます。
今年2月には、講堂で大槻能楽堂の皆さんによる能「大会(だいえ)」の公演があり、地域の皆さんと一緒に鑑賞しました。その際、能の謡にアレンジしてもらった本校の校歌を「春の芽の さみどりにおう やしろのほとり~」と全員で謡ったんです。能独特の節で校歌を謡うのは初めてで、子どもも大人も貴重な経験となりました。
――学校の先生以外の大人に教わるのは、子どもたちにとって意味のある経験ですね。
最近、タブレット型端末機が大阪市から40台導入されました。言葉だけでなく視覚的な方法が子どもの頭に入っていきやすい場合もあり、2016年度からICT教育に取り組んでいく予定です。
また、現在5、6年生のみで行っている英語活動を、2017年度中には全学年でスタートさせたいと考えています。中核となる教員がしっかり研修を受け、全教職員が共通理解した上で進めていけるよう準備していくつもりです。
本校の校歌に「今日もほがらに 学ぶのだ」という一節があります。140年もの長い歴史と伝統の中で、〝生魂っ子〟たちがこれからも仲良く心豊かに育ってほしいと願っています。
大阪市立生魂小学校(天王寺区上汐4‐1‐25)
1875(明治8)年開校。昨年創立140周年を迎え、記念式典を挙行した。
校区には生國魂神社や下寺町の寺群、大阪国際交流センターなどがある。卒業生に作家の織田作之助、作曲家の服部良一ら。
うえまち教室⑲ 学校探訪(18) 2016年3月号
大阪市立中央小学校 札場俊二 校長に聞く
18回目は中央区の大阪市立中央小学校を訪問。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
互いを思いやる 人間関係の原点
札場俊二先生 中央小学校は1991年、桃谷・桃園・東平・金甌(きんおう)の4つの小学校の統合で開校した学校です。いずれも明治創立の歴史と伝統ある学校ばかりでしたが、地域の少子化とドーナツ化に伴う児童 数の減少により統合されました。4小学校の同時統合は当時の日本では初めてで、大きな話題になったと聞いています。
――学校は地域社会の中心ですから、それぞれの地域の皆さんは自分たちの学校がなくなることに対して複雑な思いもあったでしょうね。
校訓に掲げられたように、「清く 明るく たくましい」子どもに育ってほしいという願いから、当時の保護者や地域の 方々が下した英断であったと聞いています。紆余(うよ)曲折を乗り越え、「中央がまとまっていこう」という機運のもと 歴史を重ねてきました。
校区は広く、餅つき大会や夏休みのラジオ体操などは今も4つの地域連合それぞれで実施しています。各地域に 「わがまち」への愛着があり、独自性や伝統を大事にしつつ、互いに手を携え、子どもたちを「中央の子ども」として見守ってくださっているのです。毎年秋には地域とPTAが主催する「わいわいまつり」がありますし、スポ―ツを通した 地域交流も盛んです。
校区内の松屋町や東平地区では近年、タワーマンションの建設が相次いでいます。すると今度は児童数が急激に増え、教室が不足する事態になりました。今年度の児童数は775人ですが、2020年には1000人を超えると見込んでいます。現在、校舎の増築工事を急ピッチで進めているところです。
――中央小の新しい取り組みの一つとして、ピア・サポート活動に力を入れているそうですね。
創立以来、研究発表の伝統校として算数や国語などの教科研究を重ねてきましたが、今年度は少し方向性を変えて「集団育成」に焦点を当てた研究に初めて取り組みました。
背景には、数年前から外国籍あるいは外国にルーツを持つ児童が増えてきたことがあります。日本語の力が十分でないために、子ども同士が自分の思いをうまく伝えられず、トラブルになったりする。そんなケースが増えているのです。
ピア・サポートとは「互いに思いやり、支え合う活動」のこと。相手の思いを知り、自分の考えを伝えるといった人間 関係の基本的なスキルを育てるのが狙いです。
――障がいのある子や外国籍の子などいろんな子たちと一緒に学級集団をどう作っていくか。現代的な課題に、 現場の先生方も苦心されていると聞きます。
いくら授業のテクニックを磨いても、良い学級集団が形成されていなければ良い授業は成り立ちません。
ピア・サポートを取り入れた活動では、隣りの友人と相談したり、班で助け合って協力したりするような場面を意図的に多く設けます。
例えば、1年生は相手の話を上手に聞く姿勢や態度を身に付ける。2年生は友だちがうれしくなる言葉や行動を考える。場面を設定し、実際に演じてみながらふさわしい態度について考えることもあります。5年生は、縦割り班でみんなが楽しく活動するために必要なサポートを考えます。
1年間実践を積み重ねてきた結果、少しずつ成果を感じるようになりました。授業中に誰かが間違った答えを言ったとき、「ドンマイ」という言葉がぱっと出てくる。言われるとうれしいし勇気づけられます。
登り棒が苦手な子を応援し、最後まで登れたことをみんなで喜んだり、牛乳をこぼした友だちのそばに駆け寄り、拭 くのを手伝ったりする場面も見かけました。このような学級の温かい雰囲気が大事だなと思います。もう1年、このピ ア・サポートを基盤にした取り組みを続けるつもりです。
児童会では「中央なかよしことば」を考えました。「すごいね」「大丈夫」「一緒にやろう」「ファイト」など相手を思いやる100の言葉です。日常的に使っていこうと校内の目立つところに張り出しています。
「違いを認め合い、励まし合い、学び合える」学校像が理想です。ピア・サポートを実践する中で、人と関係を築く上での根本的な部分を培っていけたらと考えています。
――一つ一つの積み重ねが大事なのですね。今の子どもの実態、時代を見据えた研究に取り組まれていると感じました。
元気な子どもを育てたいと思ったら、何より教職員が元気でなければいけません。仕事はきりがありませんが、長 時間勤務はやめて夜の7時には終わるような雰囲気づくりに努めています。次の日の朝、子どもたちに「おはよう」と言われたとき、元気な明るい先生でいてほしいんです。
一人でできなければ誰かが手伝う。問題は一人で抱え込まず、みんなでやっていこうといつも教職員に声を掛けています。ピア・サポートと同じで、教職員同士もコミュニケーションが大切。しっかり子どもを見て、組織で立ち向かう 「チーム中央」でありたいと思っています。
大阪市立中央小学校(中央区瓦屋町2‐8‐4)
1991年、4つの小学校が統合し、金甌小があった場所に開校した。「中央」の文字を四つ葉が囲む校章は、学校の歴史を象徴している。児童数775人。教職員数46人。
長堀通、千日前通、松屋町筋、上町筋に囲まれた広い地域が校区。一小一中で、卒業生は上町中に進学する。目指す子ども像は「考える子・やさしい子・がんばりぬく子」。
うえまち教室⑱ 学校探訪(17) 2016年2月号
大阪市立天王寺小学校 阪口正治 校長に聞く
17回目は天王寺区の大阪市立天王寺小学校を訪問。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
伝統野菜の天王寺蕪 学校の象徴に
阪口正治先生 本校の北側には国道25号を挟んですぐに四天王寺があり、校区の南側にはあべのハルカスがそびえる商業地が広がっています。四天王寺に代表される伝統的な文化と、阿倍野に広がる未来創造的な新しいまちに囲まれた地域に本校は立地しています。
昨年創立140周年を迎えました。祖父母も本校の卒業生というご家庭も多く、天王寺小に愛着を感じている方が地域にはたくさんいらっしゃいます。PTAと地域主催の「てんてん 祭り」や「おもちつき大会」など、行事も盛んですし、河堀稲生神社のだんじりでは子どもたちも威勢よく太鼓をたたきます。
校区は、一心寺や庚申堂、天王寺動物園、大阪市立美術館、大阪教育大学など寺社や史跡、教育・文化施設が多く点在する文教地区の一角でもあります。古くからの伝統が息づき、人と人のつながりを大切にする落ち着いた暮らしが、このまちにはあります。
――地域のつながりが希薄になる中、都会の真ん中で140年にわたり歩んでこられた天王寺小ですが、ここならではの特長はありますか。
江戸時代の頃から四天王寺周辺で栽培されていたと伝わるなにわの伝統野菜「天王寺蕪(かぶら)」が、学校の象徴になっています。本校の校章も天王寺蕪がデザインされています。
校内にある学習園では、3年生と5年生が天王寺蕪を栽培しています。収穫後は地元の漬物屋さんに持っていき、立派なお漬物にしてもらい全校児童でいただきます。
「むかしむかしの てんのうじ うまいとひょうばん かぶらあり」で始まる応援歌「かぶら音頭」は、児童と教職員で考えたもの。天王寺蕪の生育の力強さを歌にしたものです。運動 会で赤組と白組が互いにエールを交わす形で、この歌を披露しています。宿泊行事の際、他校の児童に天王寺小を紹介するときにも「かぶら音頭」を踊ります。
140周年を機に昨年、学校のマスコットキャラクター「かぶ天ちゃん」も誕生しました。児童会で段ボール製の着ぐるみを作り、集会や行事の時に登場してみんなを楽しませてくれ ます。郷土の伝統野菜が、児童や教職員の発想を生かしながら学校の伝統や行事の中で大きな存在となっています。天王寺小の面白い特徴だなと思います。
――休み時間に校庭を拝見したところ、子どもたちが思い切り体を動かし楽しそうに運動していました。都心には珍しく運動場が広くて遊具の種類が豊富ですね。
天王寺区内で一番広い運動場です。運動好きな子が多いのは、歴代の先生方が体育の指導研究に熱心に取り組んできた成果でしょう。
昔から「体育の天王寺」と言われた良き伝統は、今も毎週金曜日の「体育朝会」に受け継がれています。全員で縄跳びを10分、音楽に合わせて一斉に飛んだり、豊富な遊具を生 かしてサーキット運動に取り組んだりしています。「知・徳・体」のバランスの取れた子どもが目標です。
今年度から取り組んでいるのは「理科・生活科」の研究。昨年度まで「国語」の研究を中心に進めてきた「伝え合う力、豊かに表現する力」をさらに発展させたい。理科の教科学習 を切り口に、「仲間と力を合わせて一緒に課題を解決していく力」を育てられないかと模索しています。
――校長先生は管理職であると同時に学校研究もリードされているのですね。
研究授業で先生方の力を磨きながら、子どもの学習環境を整えていくのが私の務めだと考えています。
今年度、校長経営戦略予算で理科室の充実と校内の緑化観察の環境整備に充てる予算を認めていただきました。今ある池を観察用ビオトープ(生物の生育空間)に造り替え、 学習園には新たに水田をつくる予定です。来年にはお米が収穫できるかもしれません。
地域の協力を得て、学校の外でも子どもたちはさまざまな体験をさせてもらっています。
天王寺動物園では、動物のふんを肥料にした豊かな土で作物を育てる「サスティナブルガーデン」で、2年生と3年生が植え付けと収穫を体験しています。昨年開園した天王寺公園の芝生広場「てんしば」では、オープン前の芝張り作業の仕上げに参加しました。毎年2月のマラソン大会は、四天王寺さんの境内をお借りして開催します。
学校周辺にさまざまな施設がある強みを生かして、地域と積極的に関わっていきたい。そうすれば、子どもたちも「私たちの地域」という意識が自然と芽生えるのではないでしょうか。
――地域の資源を活用しながら、地域とともに新しい時代に対応する子どもたちを育てていきたいと。
目まぐるしく、変化の激しい時代を生きていかねばならない子どもたちです。 自分でしっかりと考え、状況を打破していく力、周囲の人と力を合わせて問題を解決したり新しいものを 創造したりしていける大人になってほしい。学校でできること、地域でできること、両者が手を携えてこそ、本質的な子どもの「育ち」につながると考えています。学校と一緒に歩んで いただける地域の存在は大変心強く、天王寺小にとって大きな強みです。
大阪市立天王寺小学校(天王寺区大道1‐4‐49)
1874(明治7)年、第五大区一小区一番小学校として開校。児童数263人。
交通量が多い国道25号を渡る通学路は危険を伴うため、児童の安全確保を願う地域の要望に応え1962年、直接学校構内へとつながる専用地下道がつくられた。今もほとんどの子どもたちがこの地下道を利用して登下校する。
うえまち教室⑰ 学校探訪(16) 2016年1月号
児童養護施設「四恩学園」「四恩たまみず園」
社会福祉法人四恩学園 中西裕 理事長に聞く
16回目は特別編として児童養護施設四恩学園を訪問。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
地域に育まれる子どもたち
中西裕理事長 児童養護施設「四恩学園」は、一心寺の境内に戦後間もない1949年に開設しました。当時は戦争で親と死別した子どもたちに衣食住を提供することが 喫緊の課題でした。時代は移り、現在は「社会的養護」の役割を担っています。「保護者のない児童や、保護者に監護させることが適当でない児童を公的責任で社会的に養育し、保護するとともに、養育に大きな困難を抱える家庭を支援する」という役割です。
私たち職員の使命は、全ての子どもたちの人権を擁護するとともに、子どもの心豊かで健やかな発達を保障し、自立への支援を行うことにあります。
施設にやって来る子どもの背景はさまざまです。社会情勢を受け、子どもの貧困、虐待、発達障害などの理由による入所が増加し、家庭的かつ専門的な養育が求められるようになりました。
そこで、グループの母体である社会福祉法人四恩学園が創立100周年を迎えたのを機に、2015年4月、児童福祉施設「四恩たまみず園」を新たに開設しました。定員は55人ですが、6~10人の少人数のグループごとにユニットを組み生活しています。
親と離れて暮らす子どもたちには「自分のことを大切にしてくれる特定の大人の存在」が何より必要です。より家庭に近い雰囲気の中で担当職員と生活を共にし、ご飯が炊ける匂いや包丁のコツコツ響く音、食後は「ごちそうさま」と手を合わせることなど「当たり前の生活」の積み重ねを経験します。その経験が「自尊感情」を育む大きな要因の一つだと私たちは信じています。
これまでは2歳から18歳までの150人が一つ屋根の下で暮らしていましたが、「たまみず園」ができたことで、従来の大所帯の棟が95人となり、55人の小規模棟と併せ、それぞれの適性に応じたきめの細かい養育ができるようになりました。
――四恩学園が100年にわたり大きな社会的使命を担ってこられたのは、地域の支えも大きかったのではないでしょうか。
日本全体で言えることですが、地域のつながりの希薄化がさまざまな社会的問題を生み出しています。来所してくる子どもやその家族も、地域から孤立しているケースが多いと感じます。
当園は地域の皆さんと一緒に子どもの育成に取り組むことを念頭に、子ども会、青年会の活動に参加したり、職員が地域の小学校のソフトボールクラブのコーチをしたりして地域に積極的に関わっています。
また、当園の子どもたちは大江幼稚園、天王寺小学校、天王寺中学校に進学しますが、地域の保護者の方々は伝統的に四恩をご理解いただき、子どもたちを温かく育んでくださいます。「地域に育まれる」、そんな土壌が天王寺にはあると感じます。
地元の一心寺には児童養護施設の開設当初から境内をお借りし、建物を無償でご提供いただくなど全面的な支援をいただいています。本当にありがたく思います。
――社会の格差が広がり家庭の状況も複雑化する中、さまざまな専門家が連携し、ニーズにあったきめ細やかな教育をしていくことが求められています。
私は学校の教員を養成していますが、これからは教員も福祉の分野をきちんと理解することが重要だと感じます。現場の教員に教育活動の中で何か求めることはありますか。
子どもたちには将来、超高齢社会を支えていく立派な社会の一員となってもらわなければなりません。まずは学力を付け、考える力、生きる力を身に付けさせることが大事です。しかし施設の子どもたちの中には、学力を付ける基盤がもともと弱い家庭で育った子や、支援学級に通う子もいます。
そういう子たちもいるということを実際に見てもらい、きちんと理解した上で、教育とはどういうものか考えてほしい。個々の特性に応じた教育はまだまだ十分ではないと思います。
――学校では異年齢の子どもたちが交流する縦割り班の活動を意識して行う時代になりました。一方、四恩学園では大人数の中で育っていく強みもあるのではないですか。
昔の子どもたちがやっていた集団遊びはうちでは日常です。敷地内には小さな菜園があり、子どもたちが育てた野菜を収穫し、感謝しながらいただきます。先生や友だちもいる生活を通して、「一人じゃないんだ」という体験ができることは、教育的にもプラスにつながるのではないでしょうか。
子どもたちが食事の前にいつも唱える四恩学園の信条に、「わたくしたちは、他人に幸せを与える子どもになりましょう」とあります。四恩学園はあらゆる恩を受けてこの世に存在しています。いつかその恩を感謝の気持ちに変えて、幸せを与えられる人になれるよう子どもたちも職員も思いを一つにして日々過ごしています。
――四恩学園では地域の人が利用できる「病児保育」を開設されたそうですね。
地域への貢献の一環で昨年12月から始めました。病気の回復期のお子さんだけでなく、症状が最盛期のお子さんもお預かりします。四恩学園には無料低額診療を行ってきた歴史があり診療所があります。病状がひどくなれば連携する医療機関も整えています。
保育所に入所している子どもや、小学校低学年の児童が対象で、午前8時30分から午後5時30分までですが、午後7時まで延長可能です。共働き家庭や働く女性の支援になればと思います。
児童養護施設ではショートステイ事業も行っています。保護者の病気、出産、出張などの理由で一時的に家庭での子育てが困難になったとき、1週間以内を目安に小学校入学前のお子さんをお預かりしています。冠婚葬祭やリフレッシュ旅行でも預かります。宿泊させることへの不安もあるでしょうが、預かったお子さんは「楽しかった」と帰っていかれます。
地域の皆さんからいただいた御恩は、子育て支援でお返ししたい。続けることこそが保護者の安心感につながり、生きる力を備えた子どもの育成にも貢献できると考えています。
児童養護施設 四恩学園・四恩たまみず園(天王寺区逢阪2‐8‐41)
1915年大阪在住の若い僧侶たちが慈善活動組織「四恩報答会」を創設したのが社会福祉法人四恩学園の始まり。昨年100周年を迎えた。乳児院や保育園、高齢者向け介護施設など「0歳から100歳超まで、地域共生の砦」を掲げ福祉事業を展開している。児童養護施設はその一つ。
うえまち教室⑯ 学校探訪(15) 2015年12月号
大阪市立金塚小学校 武中雅宣 校長に聞く
15回目は天王寺区の大阪市立金塚小学校を訪問。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
少人数で和の精神 大切に
竹中雅宣先生 本校には阿倍野と西成の両区から、231人の子どもたちが通っています。半分の学年が単学級で、残念ながら児童数も少しずつ減っていますが、少人数ならではの良さもあります。
本校に赴任して2年目になりますが、子どもたちの仲の良さはどこにも負けません。異学年が交流する縦割り班の活動はどの学校でもありますが、本校は高学年が低学年の面倒をしっかり見ています。人数が少ない分、お互いに顔なじみで普段から交流する機会が多いからだと思います。
そんなつながりの強さが発揮できる場になればと、今年初の試みとして5月に「全校遠足」を実施しました。暑い中、オリエンテーリングをしながら大阪城公園を一周します。1年生は入学したばかり。「大丈夫かな」と心配しましたが、上級生が下級生を気遣い、手を取って、誰一人脱落することなくゴールしました。
「鉄棒週間」は、普段の生活の中に体育学習を取り入れようという取り組みです。休み時間になると鉄棒の周りに子どもたちが集まります。6年生が下級生に技を教えたり紹介したりするいい光景が広がっています。
――いろいろな行事を通して、先輩がリーダーシップをとり後輩を育てていく、という子ども自身の自立的な活動が根付いているのですね。
毎年11月に「金塚まつり」が行われます。遊びコーナーを子どもたちが作り、縦割り班で巡って楽しむ行事です。
まつりの最後に、長年本校で踊り継がれてきた「金塚音頭」を全員で踊るのですが、練習では高学年が低学年の目の前で踊って見せ、振り付けを教えることになっています。誰一人照れたり手を抜いたりせず、懸命に堂々と踊ります。低学年のときに先輩のそうした姿を見て子どもなりに感じ、学んだのでしょう。
日頃から上級生の言動でいいなと思ったことを、低学年の子どもたちが自然に取り入れていく。そんな校風が本校にはあると感じます。
――伝えるべきものがあるというのはいいことですね。子どもだけでなく先生方も、縦の関係を大切にされている。素晴らしいことだと思います。地域の皆さんとはどのような交流を。
阿倍野の再開発事業で、校区には高層マンションや大型複合商業施設などが建設され、近年まちの様子は大きく変わりました。しかし、昔から住んでいた人は開発後もこの地に戻って来られました。人と人のつながりを大切にしている地域です。阿倍野、西成の両地 域が一つにまとまり、子どもたちのために協力してくださっています。
10月の「オータムフェスタ」は地域の人たちとの交流の場です。PTAや地域の方が出店し、小学校の子どもたちも「キッズマート」として野菜や果物を売ります。たくさんの店や舞台発表、アトラクションがあり、みんなとても楽しみにしています。松虫中学校の吹奏楽部も参加し、盛り上げてくれます。
――校区には大阪市立大学医学部付属病院があり、本校の分教室として院内学級があったそうですね。
光陽特別支援学校に移管される3年前までありました。
現在本校には特別支援学級が2クラス、それとは別に通級指導教室(ことばの教室)があります。
通級指導教室では、通常の学級に在籍している子どもが、聞こえや言葉、学習やコミュニケーションに課題があるとき、必要に応じて指導が受けられます。本校の児童だけでなく他校の児童も平日の授業中に保護者と一緒に通ってきて、週に1、2回指導を受けられます。子どもや保護者を指導していくためには高度な知識と専門性が求められます。
また1962年から74年まで「難聴学級」があった名残で、今でも校歌を歌う際には6年生が手話をしながら歌います。
――あらゆる子どもを支える仕組みが伝統的にあるということですね。
本校の正門を入ったところに「和」と刻まれた石碑があります。いろいろな子たちが同じ学び舎で学んでいるからこそ、他人の気持ちを思いやる子に育ってほしいです。学期に一度は「やさしさウィーク」を実施し、「人を傷つける言葉は言わないようにしよう」「感謝の気持ちを伝えるようにしよう」などの重点目標を決め、子どもたちに意識づけるよう指導しています。
今年創立92年の本校の長い歴史の中で受け継がれてきた良き伝統は、「和」の精神とともに子どもたちの中にしっかりと息づいています。
大阪市立金塚小学校(阿倍野区旭町3‐4‐46)
1923(大正12)年創立。5、6世紀頃の豪族・大伴金村の墳墓跡が「金塚」の地名の由来。 「鉄棒週間」の取り組みが評価され、一昨年大阪府教育委員会から「体力づくり優良校」として表彰された。校舎壁面には、こどもの成長を願って作られた登り龍をイメージしたレリーフがある。
うえまち教室⑮ 学校探訪(14) 2015年11月号
大阪市立真田山小学校 村上祐副 校長に聞く
14回目は天王寺区の大阪市立真田山小学校を訪問。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
地域と学校一体 子ども守り育てる
村上祐副先生 大阪城を北に仰ぐ真田山の丘にある本校は、学校やスポーツ施設、緑豊かな真田山公園がある素晴らしい環境に立地しています。天王寺区全体が文教地区とも言われています。
卒業生の多くは高津中に進学しますが、校区内には高津高校や清水谷高校もあり、この地域で長く学校生活を送る子も少なくありません。卒業生はこの真田山の地に深い愛着を抱いていると感じます。
昨年創立140周年を迎えました。大勢の卒業生を輩出し、在校生の保護者にも卒業生がたくさんいます。母校への愛校心が強く、地域の熱い支援が学校運営の大きな力となっています。
――教職員や保護者だけでなく、地域の協力が得られるのは心強いですね。
週5日制が導入されたとき、土曜日の子どもたちの居場所づくりが課題になりました。地域とPTAでつくる「校庭開放実行委員会」が組織され、「子どもたちの土曜日の居場所になれば」と年数回の行事が企画されました。
7月は校庭で「デイキャンプ」、みんなでカレーを作り、食事後はキャンプファイヤーを楽しみます。9月は「ペットボトルロケット大会」、11月は「真田山フェスティバル」、12月には地域活動協議会主催の「もちつき大会」も開催されています。
児童数が800人を超える大規模校なので、行事があると数百人規模のイベントになります。数日前からの準備は本当に大変だと思うのですが、「子どもたちのために」といつも労を惜しまず支えてくださっています。
子どもたちにわが子のように声をかけ、あいさつや片付け、順番を守ることなど指導してくださる様子を見ていますと、学校と連携した形で社会のルールが身についていくのを感じます。
――真田山小は、英語教育、道徳教育、NIE(新聞教育)などさまざまな研究活動に取り組まれ、研究熱心な学校という印象があります。
学校では、子どもたちが「分かる、できる」喜びを感じることが大事です。そのためには、教職員は授業力を高め、常に自分を磨き続ける必要があります。さまざまな研究活動の目的はそこにあります。
そのような中、英語教育は本校の研究活動の柱になっています。
1992年に当時の文部省が小学校での英語教育の導入を検討し、「研究開発学校」として指定を受けた本校は、先駆的に英語教育に取り組んできました。現在は5、6年生が週に1時間、外国語活動をすることになっていますが、本校では20数年にわたり全学年で英語の授業に取り組んでいます。
――国レベルの新しい教育を先取りして、授業やカリキュラムを開発し、発信していく役割を担ってこられたのですね。
一昨年9月より大阪市教育委員会の「英語イノベーション事業」重点校として、英語の指導法の一つの「フォニックス指導」に取り組んでいます。
週3回、朝の15分間、アルファベットの正しい発音や、歌と絵本を使っての英語の音声に親しむ活動をしています。指導するのは学級担任が中心ですが、本校では専科や教務主任、習熟度別少人数指導の先生など、全教員が英語の音声指導を行うことができます。
真田山小の子どもたちはとても伸びやかで明るい。みんなの前で発表したり歌ったりするのが好きで、堂々としています。こんなところも、コミュニケーション力を高める英語学習の副産物かもしれません。
――ほかに特徴は。
研究活動に取り組む一方で、今年度は基本的な生活習慣の指導にも力を入れています。
下駄箱に靴をきちんとそろえて入れることや、しっかり掃除することなど、日々繰り返しと継続の徹底した指導を進めています。時間、場所、活動が変わるときの気持ちの切り換えや、担当場所をきれいにできた自己有用感が子どもたちに根付けばと期待しています。
社会の国際化が進み、子どもたちもいずれは国外に出ていく機会に出会うでしょう。しかし、地域に見守られながら小学校生活を送った真田山のことを忘れないでほしい。家族や地域、学校の思い出とともに、「私の原点はここにある」と胸に刻まれるような実り多い小学校時代であってほしいと願っています。
大阪市立真田山小学校(天王寺区玉造本町14‐41)
1874(明治7)年創立。児童数803人。校区内には真田山旧陸軍墓地や三光神社、天王寺スポーツセンターがある。
大坂冬の陣での真田幸村の陣営「真田丸」が近隣にあったという故事がある。
うえまち教室⑭ 学校探訪(13) 2015年10月号
大阪市南大江小学校 坪井宏曉 校長に聞く
13回目は中央区の大阪市立南大江小学校を訪問。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
思考力育む「課題解決型ノート指導」
坪井宏曉先生 本校は2012(平成24)年に創立140周年を迎えた歴史と伝統ある小学校です。
この地域に昔から住んでいるご家庭も多いのですが、最近は高層マンションが建ち、新しく移り住んでこられた方も増えています。今後、児童数が増え学級増が予想されることから、現在、校舎の増築工事を進めています。
――南大江小の教育の特長を教えてください。
10年ほど前から、算数の教科で「課題解決型」の授業とノート指導に取り組んでいます。どんな授業かと言いますと、授業の最初に先生が「学習課題」を示します。課題の解決に向けて子どもたちが見通しを立て、考え、それを元にみんなで話し合います。最後に分かったことをまとめます。後に国語科でもこのノート指導に取り組みました。
授業の一連の過程を決められたルールにのっとり図や表、絵、言葉などを用いてノートに書いていくのです。例えば算数だと、答えや解き方の道筋を書いていきます。黒板を写すためのノートではなく、「考えるためのノート」です。
1年生はひらがなを習ったばかりですが、どう考えたかを1年生なりに書きます。6年生になると自分の考えを複数書く子もいます。考えたことは一人一人違いますから、書いた内容は「自分の考え」です。後で見返すと、思考の過程がよく分かります。
――1年生から取り組めば6年間の積み重ねで質も高まりますね。
私は今春、この学校に来たばかりですが、赴任当初、ここの子どもたちがしっかり話ができることに驚きました。
長きにわたり「書く」という作業を続けているからでしょうか。ノートに書くという作業は自分の考えを整理するということです。さらに友だちとの意見交換を通して、言語力や表現力が育まれます。
2014年度の全国学力・学習状況調査の結果では、「知識」を問う問題以上に、「活用」に関する問題の正答率が全国平均を上回りました。いろんな教科で良い影響が期待でき、 国語、英語と続いて今年度は算数に重点を置いて取り組むつもりです。
――先生方はそれぞれの経験から得た自分なりの指導方法があり、歩調を合わせるのは難しい面もあるのでは。
1年生から6年生まで同じ形式でノートに記述しており、教員もそのノートに沿った板書や授業をしています。全学年統一の形式で、学校全体で取り組んでいるところは珍しいのではないでしょうか。
先生の入れ替わりはありますが、このノート指導は「南大江小の文化」として踏襲してきました。今年度は、これまで続けてきたことをきちんと研究の形にする集大成の年だと思っています。
――新しい学習の方法として、ぜひその効果を検証し、他校にも広めていただきたいものです。ほかに特長はありますか。
異学年で班を作り交流する「縦割り班活動」を含めた児童会活動が盛んです。先生から言われてやるのではなく、子どもたちが主体的にテーマを決めてさまざまな活動に取り組んでいます。
体育委員会の子どもたちは、増築工事で運動場が狭くなっている校内でもできる遊びや運動を提案し、劇で発表しました。図書委員会では各学年の子どもたちが書いた本の紹介文を選定し、読んで感じたことなどを全校児童の前で紹介しています。自分たちで見つけたことを、みんなの前でどう表現し発表するか。そんな力が育っていると感じます。
縦割りの活動は地域での活動にも広がっています。校区近くには生國魂神社の行宮(お旅所)があるのですが、毎年夏のお祭りでは希望した子どもたちが太鼓をたたき、みこしを引いて町内を練り歩きます。
祭りの10日ほど前から夕方2時間、お旅所で練習があります。3年生以上の子どもたちは太鼓を地域の人や中学生に教わり、熱心に練習に励み、そんな姿を見て低学年の子た ちは「いつか自分も」とあこがれの気持ちを抱きます。地域の行事を受け継ぐために上級生が下級生の面倒を見る、とてもいい光景だと思います。
――子どもが育っていくのに、縦の人間関係は大事ですよね。新規流入の家庭も多い中、地域をまとめる工夫も必要でしょう。
懐の深い地域の皆さんで、「子どもたちを地域全体で育てていこう」と新しく移り住んだ方も分け隔てなく温かく迎えておられます。学校もできる限り協力していきたいと思っています。
この地域では、昔から銅座幼稚園、南大江小、東中と進まれる方が多くいらっしゃいます。幼稚園や中学校との連携にも力を入れています。
5月には銅座幼稚園に5年生が出かけて行って園児と遊び、7月にはこちらに園児を招いてプール遊びをします。
東中との連携では、同中の先生方と、同中を進学先とする4小学校の教員が教科ごとに話し合う場を設けており、課題解決型の授業など小学校で教えている内容を伝えています。小中連携を通して、東中は丁寧に子どもを育ててくれていると感じています。これからも子どもたちにはさまざまな場を通じて、豊かな心を育ててほしいと思っています。
大阪市立南大江小学校(中央区農人橋1‐3‐3)
1885(明治18)年創立。大阪城の南西に位置し、かつては城下町として栄えた地域に建つ。敷地内を豊臣・徳川時代の下水溝「背割下水(太閤下水)」が通り、正門横に見学施設がある。児童数は483人。
うえまち教室⑬ 学校探訪(12) 2015年9月号
大阪市苗代(なわしろ)小学校 木本哲夫 校長に聞く
12回目は阿倍野区の大阪市立苗代小学校を訪問。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
ロボット授業で「自ら学ぶ力」育む
木本哲夫先生 苗代小学校は戦後、地域の人口が急増したことから常盤小、阿倍野小、長池小など近隣の5校の校区を再編し、1951年に新設された学校です。
28年頃までこの付近にあった「苗代田池」という池の名前にちなんで南海平野線「苗代田駅」ができました。駅の名前がまちの人々に親しまれていたことから、「苗代小学校」は名付けられました。農家の人々が苗代で大切に育てた稲のように、子どもたちがすくすくと育ってほしいとの願いも込められています。
学区内には本校の卒業生である保護者がたくさんおられ、皆さん教育熱心で学校運営に協力的です。
――ホームページを拝見しますと、「スーパー・チャレンジ・スクール」として、さまざまな取り組みをされています。
大事に育てられ、自己肯定感の高い子どもたちですが、自分で課題を見つけ意欲的に学ぼうとする力が乏しいかな、と感じることがあります。 「スーパー・チャレンジ・スクール」は、子どもたちのやる気を引き出し、何事にも「チャレンジ精神」で臨んでほしいと先代の校長が考えたものです。海での自然体験教室は「チャレンジ海教室」、林間学校は「チャレンジ山教室」と呼び、「新しいことに触れ、新しい自分を発見しよう」を合言葉にいろいろな取り組みを行っています。本校の特色の一つである「プログラムロボット学習」もそんな試みの中で始まったものです。
昨年6月、阿倍野区が知育玩具メーカー「レゴ社」と協定を結んだことから、区内の小中学校でレゴブロックを活用した学習ができるようになりました。
本校でも早速、レゴを使った授業を始めました。例えば低学年では、「夏の思い出」というテーマで、子どもが「山登り」や「カブトムシ」などをブロックで表現します。それをもとにみんなの前で説明します。レゴを通して創作力とコミュニケーション力が培われる授業です。
4~6年生では内容も高度になり、総合学習の時間を使って、レゴ社の「プログラムロボット」の製作にチームで挑戦します。
初めは「パソコンを使ってプログラミングし、ロボットへデータを転送して動かす」というテーマで、パソコンとロボットの接続方法やプログラミングの仕方を理解させます。慣れてくると、「ロボットを1・5m進ませて3回転させ、初めの場所に戻ってくる」というやや難しいミッションを与えます。左右のタイヤの回転数や速度、曲がる角度などを緻密に計算する必要があり、子どもたちは話し合いながら試行錯誤を重ねます。
「やってみて、だめなら改良して、もう一度やってみよう」という学習形態で、これまでの勉強とは違う。創意工夫が問われるものです。最終的には「災害救助ロボットのプログラムを考える」という課題に取り組みます。
――大阪教育大科学教育センターも、本校と阿倍野区、レゴ社と連携協定を交わしています。授業を通して子どもたちにどのような能力が身に付くのか興味深いですね。
子どもは創意工夫ができる活動が大好きです。でもこれまでの学校教育は知識の習得を重視し、考える力を育む機会が十分とはいえませんでした。レゴを使った教育の魅力は、与えられたミッションを達成するために色々やってみる中で、問題解決能力や想像力などのスキルが自然と身に付くところでしょう。
プログラムロボットの研究は、大阪市教委が2013年度に募った「がんばる先生支援事業」に採用されたテーマでした。子どもたちの理科離れが叫ばれる中、理科の面白さや学ぶ意義を、楽しみながら知ってもらいたいと考えたのがきっかけです。
結果、子どもたちが解決すべき課題に向けて意欲的に学ぶ姿勢や、議論を重ね仲間と協力する様子などを見ることができました。子どもたちには、失敗を恐れずいろんなことに挑戦してほしい。原因があれば突き詰め、さらに改善していく力を養ってほしいのです。
――主体的に学ぶ姿勢はまさに文部科学省がすすめる「アクティブ・ラーニング」そのものですね。従来の教科書中心の学習だけでは学べないことがあるということですね。
テストの点数では計れない「論理的思考」や「発想力」といった柔軟な力を、普段の生活の中で育んでいけたらと思っています。
「阿倍野区国際力向上施策(ICA)」の一環で、力を入れている外国語活動もそうです。ニュージーランド出身で阿倍野区育ちのビクトリア先生が英語を教えてくださいます。子どもたちはビクトリア先生が大好き。水泳や工作などの活動を一緒にする中で自然に英語が身に付き、楽しみながら学んでいます。
プログラムロボットの学習は、科学、工学、数学などの分野にまたがる総合的な学習です。これまでの積み重ねをもとに、エネルギーや環境など科学技術全般に学習の幅を広げていきたい。地域の力も借りながら、子どもたちが大きく成長していける 「新しい教育活動」に教職員も果敢にチャレンジしていきたいと思っています。
大阪市立苗代小学校(阿倍野区阪南町1‐26‐30)
創立64年の阿倍野区では2番目に新しい小学校。児童数410人。
今年度の校長経営戦略予算で、全校児童と保護者で漢字検定に挑戦する予定。昨年度から大阪市の低学年理科教育のモデル校。学校教育目標は「自主・自律の精神に富む人間性豊かな子ども」。
うえまち教室⑫ 学校探訪(11) 2015年8月号
大阪市大江小学校 前川憲正 校長に聞く
11回目は天王寺区の大阪市立大江小学校を訪問。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
運動の楽しさ伝える体育授業
前川憲正 先生 2013年に創立140年を迎えた大阪の中でも伝統ある小学校の一つです。
校区の西側を中心に四天王寺や愛染堂、大江神社などお寺や神社が集まり、大江の校区には歴史と文化が根付いています。
小学校のすぐ隣は四天王寺さんです。この学校をつくるときからご協力を頂いたそうで本校とは深いご縁があるようです。本校の正面玄関の菊花文様は、四天王寺さんの紋をデザインしたもの。境内から響いてくる悠然とした鐘の音や読経の声は、子どもたちの日常になっています。子どもたちは落ち着いた教育環境に恵まれていると思います。
校区内にあまり広い敷地はありませんので、今後大きなマンションが建つ予定はないでしょう。しかし、大阪星光学院や四天王寺学園などが並ぶ文教地区で、住みやすい街として移り住む方も多くいらっしゃいます。児童数は微増しており、今年度は361人でスタートしました。
――本校の特長を教えてください。
全国的に見ても学力は引けを取らないと思いますが、その反面、全国体力・運動能力調査の結果は芳しくありませんでした。運動場が狭く、校区内に小学生が遊べるような広い 公園がないことも一因かもしれません。
そこで、一昨年から体育・スポーツに重点を置いた取り組みを始めました。体育の授業は週3時間と限られていますが、運動する楽しさや、自分の技や記録を伸ばしていく喜びなど「スポーツの楽しさ」を感じるような授業を工夫しています。
例えば「陸上運動」でも、いろいろな子がいるなかで全員が一定の記録を目指そうとすると、運動が苦手な子ほど体育が嫌いになってしまいます。そうではなくて、その子自身の 最初の記録と比べてあげる。そうすると、頑張った分だけ自己タイムが縮まったことが実感できます。
トップアスリートを招く授業も年1回ほど設けています。選手生活でつらく苦しかった時の話や、あきらめないことの大切さを説く話は子どもたちの胸に熱く残るようです。先日は、水泳のロンドン五輪銅メダリストの寺川綾さんが来校しました。クロールの息継ぎや平泳ぎの足の動かし方を手取り足取り教えてもらい、子どもたちは大喜びでしたよ。
昔の子どもたちのように、日常の遊びの中で体を動かす機会があればよいのですが、最近の子どもたちの放課後は忙しい。習い事や塾に通う子も多く、運動する時間を確保するのが難しい状況です。本校のこうした体育に特化した取り組みは、保護者も理解してくださっているようです。
――体育は、自信をつけたり努力の大切さを教えたりするのにも適した教科ですね。
「知・徳・体」という言葉があります。確かな学力、豊かな心、健やかな体を指しますが、この3つをバランスよく確実に育てられるのは体育だと思っています。体育では、友だちと協力したり目標を目指して一緒に工夫したりする場面がたくさんあります。
技能や体力の向上だけを目指して、しんどい練習をひたすら繰り返すだけの体育では、運動が好きな子や得意な子しか伸びません。小学校の体育は、運動が苦手な子が好きになるような授業が理想なのです。また、「健やかな体と心」は、ほかの教科の勉強をするときの土台にもなります。
――スポーツのチームプレーではコミュニケーションも大切ですものね。言語活動にも力を入れているそうですね。
これからの時代、自分の思いや考えをきちんと伝え、相手の思いを聴く力が大切になってきます。
最近、特に「聴く」ことが苦手な子が多いように感じています。「うるさい」「うざい」「だまれ」といった相手を傷つけてしまう言葉が、深く意味を考えないまま、ついつい出てしまう。そんな場面を本校でも目にすることがあります。言葉が足りないために、子ども同士でトラブルになっているのです。
友だちが困っている時や心配そうな時に「どうしたの?」「大丈夫?」「一緒にしよう」と相手を思いやる言葉で聴いてあげる。そのような相手を尊重し思いやる言葉を、本校では 「ふわふわ言葉」と呼んでおり、「意識して使っていこう」と呼びかけています。
――毎月発行されている学校だよりの「校長室から」というコーナーでも言葉の大切さについて触れられていますね。
6月号では、「先生、トイレ」「お母さん、お茶」と、単語だけではなく、きちんとした文で会話しよう、とお伝えしました。
家庭環境に恵まれていても、意外と親子でじっくり話をする時間は少ないのかな、と思うことがあります。家庭でも地域でも、意識して子どもたちの言葉遣いに関心を寄せ、お声かけをいただければとお願いしました。
――学校の行事や子どもたちの様子、校長先生のメッセージなどを保護者だけでなく、地域の皆さんに発信するのは素晴らしいことですね。自分の子どもは卒業したけれど、小学校には愛着があるという方が地域にはたくさんおられます。
学校だよりは地域にも回覧板で回っています。特にご高齢の方にはホームページより紙面の方が浸透しますから。読んでくださった保護者や地域の方から「感銘を受けました」とうれしい感想を頂くこともあります。
本校に着任して3年になります。地域の皆さんが本校の教育を「大江の教育」と呼び、高い誇りと愛着を持っておられるのを強く感じます。学校と家庭、地域の双方向のつながりを大切にしながら、大江地区全体で子どもを育てる素晴らしい伝統を、これからも大切に受け継いでいきたいと思っています。
大阪市立大江小学校(天王寺区四天王寺1‐9‐18)
1874(明治7)年「第五大区一小区一番小学校」として創立。創立当初より四天王寺と縁が深く、校歌にも聖徳太子が寺を建立した話が歌われている。冬には「耐寒かけあし」を境内で実施。
「おもいきり挑戦しよう・おもいを伝え合おう・えがおで助け合おう」を「おおえ」の3つの約束として取り組んでいる。
うえまち教室⑪ 学校探訪(10) 2015年7月号
大阪市立玉造小学校 中村倫子 校長に聞く
10回目は中央区の大阪市立玉造学校を訪問しました。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
主体性培う「玉っ子会議」
中村倫子 先生 大阪城の南に位置する本校は、創立140年以上の歴史と伝統ある小学校です。昔ながらの住宅街には近年、新しいマンションが建ち、児童数は年々増えています。保護者の中には、地元出身の方も多くおられますし、結婚して子どもが生まれ、「玉造で子育てしたい」と考えて来られた方もおられます。以前は全学年2学級でしたが、2013年度の新入生から3学級が定着しました。
古代の難波宮以来の歴史が息づく玉造は、文化資源が豊かなまちです。そんな「地の利」を教育に生かしています。
細川越中守忠興の屋敷跡で知られる「越中井」や豊臣家ゆかりの玉造稲荷神社など、子どもたちが「町たんけん」で巡る場所には事欠きません。玉造稲荷神社ではまちの歴史を教えてもらいますし、4年生はなにわ伝統野菜「玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり)」の苗を頂いて校庭で栽培しています。
地域とのつながりは深く、皆さん学校運営にとても協力的です。外部から「ゲストティーチャー」として講師を招く授業がありますが、多くの地域の方々にもお願いしています。例えば、地域の女性会の皆さんに民謡踊りを教えてもらったり、近くの大槻能楽堂で能体験をさせてもらったり、お茶の先生に茶道の作法を習ったり。地域の人が持つさまざまな技能や知識を子どもたちが直接見聞きする経験は、彼らの世界を広げるきっかけになるはず。本物に触れ、感動する体験を重ねてほしいと思います。
――「地域の教育力」を学校に生かす取り組みですね。玉造小では、話し合い活動など言語力や論理的な思考力を伸ばす教育にも力を注いでおられますね。
全校児童が参加する「玉っ子会議」という会議を年5回、開いています。「みんなで考え、意見を出して話し合おう」という目的で12年度から始まりました。
議題は「玉っ子まつりの新しい工夫」「卒業する6年生をお祝いする会について」など学校運営に関すること。各クラスであらかじめまとめた意見を持ち寄ります。児童会運営委員が司会を務め、最終的にどうするかを全員で決めていきます。
短い時間ではありますが、意見を出して話し合い、集団決定するという合意のプロセスを低学年から経験させています。
――教師主導ではなく、自分たちの学校のことを主体的に決めていく。市民性や自治能力が培われますね。
子どもたちが当事者意識を持って取り組むこと。そこが一番大切だと考えています。
玉っ子会議は、2011年度から2年間取り組んだ「学級活動の研究」が土台となっています。教科研究と違い、ほかの学校であまり研究されないテーマかもしれません。しかし、学級活動は生きていく上で必要な社会性を育む教育の一つだと思うのです。自分なりの考えを持って人の意見を聞き、自分と異なる部分、同調できる部分を探って折り合いをつける。主体性や表現力も自然と養われるでしょう。
2年間の研究で、子どもたちは予想した以上に活発に意見を出せるようになりました。算数やほかの教科の授業にもこの成果を広げたいと考えています。
――授業では、実際にはどのような取り組みをしていますか。
昨年度の校長経営戦略予算でA4サイズのミニホワイトボードを購入し、全校児童に1枚ずつ配布しました。授業中に意見を書かせて先生に一斉に見せたり、隣の子と意見交換したりするなど話し合いや表現のツールとして活用しています。
すぐに消せて何度も書き直せるのがホワイトボードの利点。手を挙げホワイトボードを活用した授業て自分の意見を発表することに抵抗感のある子もどんどん書いて、自然に意見を出す習慣が身に付きました。
――どの子も意見表明できることが大事なのですね。お話を聞いていて、教育の軸となる基本的な哲学をお持ちだと感じました。
教諭時代から、「子どもたちが意見を出し合い、話し合う」ことを授業で心掛けてきました。意見を述べるためには当然、自分の考えを持たねばなりません。
変化の激しい時代を生き抜いていくためには、自分の考えをしっかりと持ち、議論を通してお互いを理解し合う姿勢が必要です。自分の考えに固執することなく色んな意見を聞いて協力し合い、より良い生活を築ける人になってほしい。私も教職員もそうありたいと思いながら、毎日、子どもたちへの指導に努めています。
大阪市立玉造小学校(中央区玉造2‐3‐43)
1873(明治6)年に「東大組第1区小学校」として開校。児童数は412人(4月1日現在)。校区内には城星学園や大阪女学院、聖マリア大聖堂などがある。8月1・2日、校庭で地域主催の玉造盆踊り大会が開かれる。
6年生児童 玉造稲荷神社で授業
地域の歴史 児童に伝える
玉造小学校の6年生が5月8日、玉造稲荷神社を訪れ、自分たちの住む地域の歴史を学ぶ授業があった。
同神社の協力で毎年行っており、鈴木伸廣禰宜が講師役を務めている。「玉造にはどのくらい前から人が住みだしたか分かるかな」と切り出した鈴木禰宜は、玉造の地が5000年前には「上町台地」と呼ばれる海に突き出した半島であったことを説明。海に面した「難 波津(なにわつ)」を拠点に中国や朝鮮と盛んに貿易が行われた歴史を紹介した。
聖徳太子建立の四天王寺は、現在の場所に移転する前は「玉造の江」と呼ばれる同地にあったことや、大化の改新で都が飛鳥宮から難波宮に移った経緯にも触れ、「一連の出来事はみんなのまちで起こったこと」と語りかけた。
豊臣政権時には、大坂城の敷地が同小の辺りにまで広がっていた。普段、児童たちが遊んでいる越中公園や玉造公園周辺は、細川越中守忠興ら歴史上著名な人物が屋敷を構えたとされる場所。鈴木禰宜は「君たちほど歴史の教科書に関連した場所にいる子たちはいない。そんな素晴らしいまちで学び、生活していることを忘れないで」と締めくくった。
ある女子児童は「有名な大化の改新に玉造が関わっていることを初めて知った」と驚いていた。
うえまち教室⑩ 学校探訪(9) 2015年6月号
大阪市立丸山小学校 児島愼一 校長に聞く
9回目は阿倍野区の大阪市立丸山小学校を訪問しました。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
行事多彩 地域に開かれた学校に
児島愼一夫先生 丸山小は上町台地の南端に位置し、校区内には昔ながらの住宅街が広がっています。住人の出入りは少なく、児童数はほぼ横ばい。今年度は490人でスタートしました。親や祖父母も本校の卒業生という方が多く、学校に愛着を持って暮らしている方が多くいらっしゃいます。
そんな校区ですので、地域と一体となった教育活動が積極的に行われています。5月には「春の運動会」、7月には「夏祭り」、年末には「もちつき大会」とPTA・地域主催の行事もたくさんあります。近隣の幼稚園や中学、高校、大学との連携もさかんです。
私は本校に着任して4年目になりますが、地域の方が子どもたちのために協力を惜しまない、恵まれた環境の学校だと感じています。
━━地域に支えられる学校の姿というのは理想的なあり方ですね。
6年生がリーダーになり、異学年の子たちが縦割りで活動する「スマイル班」というグループを組んでいます。毎年6月に児童会主催で開催する「丸山こどもカーニバル」では、各チームでクイズや読み聞かせなどのコーナーを準備し、来場者に楽しんでもらいます。異年 齢同士がふれあう場であるとともに、保護者や地域の方も大勢参加し、交流を深める良い機会になっています。
━━昨年度から大阪市教育委員会の「体力向上モデル校」に指定されていますね。
全国体力・運動能力調査で、本校の評価は全国平均を下回っていたんです。これは大きな課題だと、2年前から研究を始め、「まずは子どもたちを運動好きにしよう」と考えました。
昨年度は、校長経営戦略予算で中庭に縄跳びジャンピングボードを設置したほか、体育館や運動場にも子どもがやってみたいと思うような器具や用具を置きました。体育の授業だけでなく日常の遊びの中で体を動かすことを楽しんでほしいと、特別に予算を組んで校内に魅力的な「スポーツ空間」をつくる工夫を重ねたんです。
その結果、2年間で「運動が好き」な子が増え、新体力テストの結果も大幅に改善しました。
━━魅力あるスポーツ空間を提供することで、子ども自ら動いてくれるだろうという仮説を立てたのですね。
私は体育が専門ですが、子どもの頃は器械体操が苦手でした。そんな経験から、運動が苦手な子も楽しいと思えるようになるにはどうしたらいいかと考えました。
子どもたちには、最終的な目標を見据えていろいろやってみる過程で、「今日はここまでできるようになった」という達成感を味わってほしい。それが自信につながり、より高みを目指す意欲につながればと期待しています。
体育の授業では、タブレット端末(ICT)を活用しました。運動している様子を動画で撮影し、すぐに再生して見ることできる。自分の動きを確認し、振り返ることができ、非常に効果的でした。運動の苦手な子が少しずつできる喜びに目覚め、周囲の子たちは「やった、でき たやん」と受容する。そんな光景も見られました。映像を見ながら子ども同士が動作を言葉で表現したり、仲間との交流を深めたりする中で、言語能力とともに運動能力の向上にもつながっていく。そんな相乗効果もありましたね。
━━他にはどんな特色がありますか。
体育科指導に取り組む以前から国語の研究に力を入れていました。「読書活動」に長年取り組んできたこともあり、うちの子たちは読書好きですね。図書ボランティア(PTA・地域の方々)が絵本の読み聞かせやおすすめの本の紹介など図書館の環境づくりに協力してく ださっていることも読書好きを育てる力となっていると思います。毎朝の読書タイムでは、自主的にそれぞれ読みたい本を読んでいます。
習熟度別・少人数指導にも取り組んでいます。国語と算数で単元ごとに学級を分割し、子どもたちの個々の能力を最大限発揮できるようきめ細かな指導をしています。
小学校の隣には大阪キリスト教短期大学があります。短大の外国人の先生に来てもらい、放課後、希望した児童が英語活動を楽しんでいます。最終日には英語のプレゼンテーションを披露します。教育課程外の活動ではありますが、これもPTA・地域とタッグを組んだ本校ならではの特色と言えるでしょう。
地域の方にはスポーツの指導でもお世話になっています。本校にはミニバスケット、サッカー、陸上、少年野球、ソフトボールのクラブがありますが、指導者は地域の方です。ミニバスケは昨年、近畿大会に出場したほどの実力で、丸山陸上クラブも有名です。
体育学習の延長に地域のスポーツクラブがあることは、とてもすばらしいことだと思います。本校は地域の方が率先して指導してくださっており、我々教職員もできる限り応援しようと思っています。
━━まさに「地域の人も活躍できる学校」ですね。大阪の都会の真ん中に、学校を支える地域があるというのは素晴らしい。少子高齢化社会における一つの理想形のように見えます。
地域活動協議会の安全ボランティアの方は長年、毎朝通学路に立って子どもたちを温かく見守ってくださっています。本当にありがたく、感謝しています。5月31日には春の運動会があり、おじいちゃんおばあちゃんがお孫さんと一緒に出場できるプログラムも検討中です。
安全面を考慮して、学校は物理的には校門などを閉じざるを得ません。しかし、心はいつも外に開いていたい。これからも地域の方々に開放された学校でありたいと思っています。
大阪市立丸山小学校(阿倍野区丸山通1‐4‐43)
1919(大正8)年創立。今年度で96年を迎える。45年の空襲で木造校舎は焼失したが、47年、天皇陛下が戦災復興状況視察のため行幸。校門横には記念碑と植樹がある。
学校目標は「豊かな情操と強い連帯感をもち、何事にも最後までやりぬく子」。
うえまち教室⑨ 学校探訪(8) 2015年5月号
大阪市立五条小学校 玉村恒夫 校長に聞く
8回目は天王寺区の大阪市立五条小学校を訪問しました。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
地域 ・ PTAと二人三脚「日本一の小学校」に
玉村恒夫先生 校区内はマンション開発が進む都心の大規模校ですが、地域の皆さんの多大な協力を得てまちぐるみで大切にされている学校です。
五条小校区はもともと、「五条」「桃丘」の2つの地区で成り立っており、かつてはそれぞれに「五条小」と「桃丘小」がありました。終戦後、桃丘小の校舎を進駐軍が接収したことから1946年、2校が統合した経緯があります。進駐軍撤退後は五条小の分校として使用された時期もあったのですが、1982年に分校を閉じて今の姿になりました。桃丘小跡地には現在、五条幼稚園と天王寺図書館、桃丘会館があります。
――それで現在も五条と桃丘の両地域から支援を受ける形になっているのですね。具体的にはどのように地域と学校が関わっているのですか。
1年生は高齢者の皆さんから昔遊びを教わりますし、2年生の生活科の授業では地域に伝わる逸話や戦時中の集団疎開などの話を聞かせてもらっています。
地域の集会所である「桃丘会館」と「五条公園会館」では月1回、「ふれあい喫茶」という高齢者向けの催しが開かれているのですが、3年生が出向いてお茶やお菓子の配膳を手伝うといった体験もさせてもらっています。
校庭での防災キャンプや盆おどり・親子フェスティバルなど地域主体のイベントに学校とPTAが参加する機会も多い。日頃から教職員と地元の皆さんの結びつきが強く、「こんなことをしたい」とお願いすると、こちらの都合に合わせて力を貸してくださります。
2005年には、大阪で先駆けとなる「子ども安全見まもり隊」が結成されました。朝夕の登下校時に横断歩道などで子どもたちを見守ってくださっており、誰がどこに住んでいるかもかなり把握しておられます。顔見知りの地元の大人から声をかけていただくことは、子ども たちの安心感につながっているようです。
――自分たちのまちにはいろんな人が暮らしていて、それぞれに人生があり、歴史があるのだと。そんな話を地域の方から聞くことで、子どもがまちに愛着や誇りを抱いていくのかもしれませんね。五条小校区では昔から、地域と学校がうまく連携するノウハウが蓄積されてきたのでしょうね。
新しいマンションが次々に建設され、他地域から移ってくる方も多いのですが、地域に全く無関係という方は少ないように思います。もともとこの校区に住んでいたとか、親や祖父母が本校の卒業生だという児童も多いようです。「このまちで暮らし子どもを育てるなら、一 肌脱ごう」という姿勢が地域に根付いているのでしょう。私は本校に着任して3年目になりますが、地域の教育力の高さをひしひしと感じます。
――マンション建設が相次ぐのも、この地域が上町台地を代表する文教地区の一つとされるゆえんでしょうか。地域の方の学校に対する期待も高いでしょうね。
学校は子どもが一日の大半を過ごす場所です。けがなど安全面に特に配慮するとともに、友人関係の不安などがなく「学校が楽しい」と感じるよう気を配っています。
担任と児童が学期に1回、1対1で話す機会を意図的に設けています。クラス全員とじっくり話をするとなると1学期間全部かかることもありますが、子ども一人一人を理解する上で大切な時間だと思っています。
休み時間に運動場に目をやると、低・中学年の子たちが1人の先生の腕に4人も5人もぶらさがっている光景を見かけます。「これが本来の学校だな」と思います。今の先生はとても忙しくて、休み時間も仕事をしないと追い付かないという状況です。でもそれは子どもたちにとって幸せなことではありません。
そこで、「休み時間には運動場に先生がたくさんいる学校にしよう」と考えました。休み時間も掃除の時間もとにかく子どもと一緒にいる先生。どろんこになって遊ぶ先生。私の時代もやはり多忙でしたが、みんなそうでした。教員を志し、いろいろ本を読みあさった学生時代、「先生とはいつも子どものそばにいるものだ」という理想を抱いていました。その原点に立ち返っていきたいのです。
結果としてそのことが、子どもの日々の小さな変化も決して見落とすことのない、安心・安全な学校づくりにつながるのです。
都心なので放課後に思いきり体を動かせる場所がありません。一昨年、創立100周年を迎えたのを機に陸上クラブを再構築するとともに、新たにサッカーと水泳のクラブを立ち上げました。指導者は学校の職員です。運動場が狭いからできないなどと言い訳せず、工夫しながらやっていこうとしています。「ぜひ音楽もさせてほしい」と職員からうれしい申し出があり、昨年度には音楽クラブも立ち上げました。
これまで、都会の学校で「ないものは何もない」と思っていました。でも、クラブ活動を始めて保護者の皆さんから「子どもが今まで燃えるものがなかったので喜んでいる」とのお言葉を頂き、はっとしました。
学校というのは「行けば何か楽しいことがある」という期待感のある場所でなくてはいけません。五条小でしか与えられないことを与え、学校でしかできないことをしっかりやっていきたいのです。地域の皆さんの熱い応援にしっかりとお応えして、「日本一の小学校」を目指します。
大阪市立五条小学校(天王寺区小宮町9‐28)
1913(大正2)年、天王寺第五尋常小学校として開校。児童数は708人(4月1日現在)。今春、1年生135人が入学した。校区内は高層マンション建設で世帯数が増え、児童数は増加傾向にある。2013年11月に創立100周年記念式典を挙行した。
うえまち教室⑧ 学校探訪(7) 2015年4月号
大阪市立常盤小学校 横田隆文 校長に聞く
7回目は阿倍野区の大阪市立常盤小学校を訪問しました。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
大人数パワー 社会性育む土壌に
横田隆文 先生日本一の超高層ビル「あべのハルカス」のふもとに広がる一帯が校区です。1年生は7学級、他の学年は5~6学級で、特別支援学級を含めて計42学級あります。児童数は1197人(2015年3月3日現在)。大阪市立小学校では2番目に規模の大きい学校です。
阿倍野はもともと住宅地が広がるまちでしたが、現在はJR・地下鉄天王寺駅、近鉄大阪阿部野橋駅などが集まる大阪有数のターミナルとして知られるようになりました。便利な場所で「働き世代」の流入も多い。空地が出たらすぐにマンションが建つような状況で、児童数は年々増え続けています。
私は着任1年目ですが、4月から20人以上増えました。学期末や年度末を中心に、転入希望の電話がひっきりなしに入ります。
――都会の真ん中でこんなに子どもがたくさんいる学校というのは珍しい。校長として大所帯をまとめる手腕が問われますね。
正直、大変です。教職員も70人以上います。半数近くが30代以下の若手で、新任の先生も毎年4人ほど入ってきます。
本校は大阪市教委の「言語力等の育成に関する研究モデル校」に指定されており、様々な研究授業が行われています。若い先生は先輩の授業から学ぶ機会が多くありますし、 自分の授業を見てもらうチャンスもある。ベテランのスキルが若手に伝達する好機になっています。
学年ごとの先生同士の結束も強いのですが、学年の枠を越えてみんなで協力し合い、私が指示しなくてもそれぞれの立場で頑張ってくれています。新任の先生は学年の先生方 全員で手厚くフォローし、育てている。人数が多いということは、教員の育成にとても寄与していると感じます。
――常盤小校区は昔から教育熱心な土地柄だと聞きます。学校や教育に対する保護者の関心が高い中で、信頼を得ているというのは長年の努力の積み重ねによるところが大きいのでしょうね。
最近行った学校についての保護者アンケートで「学校のことを分かりやすく伝えている」という項目が98%と高く評価されていました。手紙だけではなくメールやホームページなど 様々な連絡網を張って、保護者への連絡がきめ細かく行き届くよう心がけています。
また学校の情報や日々の教育活動の様子を保護者や地域の皆さんに知ってもらい、子どもたちの成長を一緒に見守ってもらいたいと、月1回発行する学校だより「ときわ」を充実させています。ホームページの更新回数と閲覧数はおそらく大阪で一番多いのではないかと思います。
地域の方も、登下校時の見守りやときわフェスティバル、阿倍野区たこあげ大会などの行事を通して「子どものために何かしてやりたい」といつも快く力を貸してくださる。本当にありがたいことです。
――全国学力・学習状況調査の結果は全国・大阪市の平均を大きく上回り、申し分ない結果ですね。ほかにチャレンジしていることは。
都会っ子の特徴と言えるのかもしれませんが、全体的に体力・運動能力が低いという調査結果が出ています。
まちの真ん中にある学校で、人数の割に運動場が狭いというのも一因かもしれません。一度に全員が遊べないので、学年ごとに時間を決めて交代で遊んでいます。
また、少しでも体を動かすきっかけになればと、昼休み・清掃時間の後に「パワーアップタイム」を設けています。運動場や講堂、教室などそれぞれの場所で15分間、音楽に合わせて体を動かしたり、縄跳びなどをしたりしています。
――少子化の流れで学校の統廃合が進む中、このような大規模校はこれから珍しくなっていくでしょうね。人数が多いということは社会性を養う訓練にもなり、それだけで教育価値がありますね。
学力はもちろんですが、学校は社会性を身に付ける場でもあります。
1200人近い子どもたちが一緒に生活する本校では、おのずから社会性が醸成されます。毎年のクラス替えでは、ほとんどが新しい友だちに変わり、そこから人間関係を築いてい かねばなりません。多くの出会いに切磋琢磨する中で自分とも向き合い、そこから得ることも多いでしょう。大人数であることを強みに、お互いを思いやるような集団づくりを目指しています。
先日、学校玄関前にある像「伸びゆく子」の前で、男性が一人たたずんでおられました。聞くと、「卒業生だが、久しぶりにここを通ったら像があって懐かしく思った」とおっしゃる。胸が熱くなりました。子どもたちには、常盤小で育ったことを誇りに思ってほしい。「ここを出て良かった」と思えるような学校にしたいと思っています。
大阪市立常盤小学校(阿倍野区松崎町3‐11‐12)
1912(明治45)年創立。道路を挟んで本校と分校に分かれ、分校では今年度、2年生と3年生が学んでいる。
校名は、大正時代まで地域にあった一本松に由来。常緑樹の松は「常盤木」と呼ばれることから校名にとった。目指す子ども像は「しんの強い子」。
土曜授業
保護者ら2000人来校
常盤小学校で2月14日、学校公開を兼ねた土曜授業が行われた。今年度最後の授業参観とあって、校内は子どもたちの成長した姿を見ようと来校した約2000人の保護者らでにぎわった。
2年1組の教室では、32人の児童が詩の朗読をする様子を保護者が見守った。
子どもたちは、「雨ニモマケズ」(宮沢賢治)や「わたしと小鳥とすずと」(金子みすず)など好きな詩をそれぞれ暗唱。一つ一つの言葉の意味と強弱に気を配り、情感を込めて語ってみせた。全員で息を合わせ、「はじめて小鳥がとんだとき」(原田直友)なども群読した。保護者からは「心温まる気持ちになった」「1年間の成長を感じた」などと感想が述べられていた。
授業後は「PTAふれあいクリーンデー活動」があり、保護者と児童が一緒に教室を清掃した。
うえまち教室⑦ 学校探訪(6) 2015年3月号
大阪市立味原小学校 長谷川和弘 校長に聞く
6回目は天王寺区の大阪市立味原小学校を訪問しました。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
小規模校の良さ 学校の特色に
長谷川和弘 先生児童数約170人の小規模校であることが本校の特色です。2年生は2クラスの複数学級ですが、ほかの学年はすべて1クラス。子ども一人一人に目が行き届くアットホームな雰囲気の中、学習面や道徳面で丁寧な指導を行っており、「小さい学校ならではの良さを最大限に生かした教育」を心がけています。
そんな学校運営の柱となっているのが「ピア・サポート活動」です。「ピア(Peer)」とは「仲間・友人」の意味。友達とよりよい人間関係を結ぶために、お互いに支え合っていこうという活動です。
大切にしているのは、友達に対する言葉がけです。子どもたちが考えた「仲良し言葉」というのがありましてね。例えば「その服いいね」や「頼りになるな」「気にせんでいいよ」など相手を思いやり、人間関係の潤滑油になるような言葉が100ほどあるんです。
全校集会で児童会が「今週の仲良し言葉」を発表します。実際の言葉の使い方を劇で見せたり、「こんな場面ではどんな言葉がふさわしいか」とクイズを出したりして、みんなでその言葉を使えるよう説明してくれます。
委員会や学級運営、クラブ活動もすべて、ピア・サポート精神が生かされています。上級生は、下級生に対する思いやりとリーダーシップが自然に養われます。相手に伝わらなくては意味がありませんから、ジェスチャーも大きく付けて、子どもたちは身ぶり手ぶりで気持ちを伝え合っていますよ。
――小規模校だからこそ、お互いを気遣う気持ちが一層大切なのですね。小学校では珍しく、校庭が芝生になっていますね。
創立100周年を契機に、2006年に全面芝生になりました。定着するまでには歴代のPTAや地域の皆さんのご苦労があったようです。
夏芝と冬芝を組み合わせて、年中芝生の状態を維持しています。毎年、運動会後にみんなで冬芝の種をまくのが恒例行事です。多年草の夏芝は、冬の間に地表から上の部分が枯れてむき出しになります。そのため、一年草である冬芝を植えて夏芝の根を守るのです。1か月間は養生のため校庭は使えませんが、養生明けには子どもたちがこぞって外に飛び出します。青々とした芝生は気持ちが良く、座り込んだり寝転んだりして気持ちを発散していますね。
都会の真ん中ですが、芝生があれば鳥やトンボが飛んできます。生き物の種類や数を調べたり、芝生の生育状況を調べたりするなど、芝生を環境教育に活用する手もあります。
入学したときから、校庭が芝生であることは子どもたちにとって当たり前の環境です。自分たちの学校の特色だと意識することもないようです。草むしりや水やり、移植用のポット苗を作るのは児童の仕事ですが、手入れのほとんどを管理作業員や教頭ら大人が担っているのが現状です。
今年度の校長戦略予算の一部は、子どもが使える芝刈り機や手入れのための機械の購入に充てました。子ども主体で芝生の管理ができるようにしていこうと。多くの方の協力で整えられたこの環境を教育に生かすとともに、子どもの心も育てたいと考えています。
――1992年から3年間、文部科学省の指定を受けて全国に先駆けて英語教育に取り組まれたのに加え、2014年度からは大阪市の英語教育重点校になっていますね。
小学校の英語教育は、単語や文法を覚えるのが目的ではなく、「英語に慣れる」というのが基本的な考え方です。本校には毎週、外国語指導助手(ALT)が来校し、季節の行事に合わせてゲームをしたり、英語劇に取り組んだりしています。各教室では担任が音声指導(フォニックス)を行っています。そのかいあって、うちの子たちの発音は驚くほど上手ですよ。また、英語を話すことに抵抗感がないようです。
日頃の英語活動の成果を発揮する機会になればと今年1月、4年生以上を対象に初めて英検の受検を行いました。結果を問うのではなく、これまでの努力を土台にチャレンジ精神を持ってほしいと思ったのです。そんな人間本来の力を磨いていくのも教育の役目ではないでしょうか。
――主な進学先は、大阪市立高津中ですね。中学校との連携はあるのですか。
私立中学を受験する子もいますが、地元にせっかくいい学校があるのですから、できるだけ多くの卒業生が一緒に高津中に進学してほしいと望んでいます。
中学の入学説明会は通常、年明けに行われるのですが、私は高津中の校長先生に「PTAの新体制が決まる6月頃に来てほしい」と頼みに行きました。それも6年生対象ではなく、受験を意識する前の3・4年生の保護者向けに、進学実績も公表して「名門高津中学」を PRしてほしいとお願いしました。近年、地元の学校に進学する良さもだんだん見直されてきたように感じます。
――地元の学校の良さを小学校から発信するとは積極的な取り組みですね。地域と学校の関係の深さがうかがえます。
私は時々、子どもたちに「何のために勉強するんや」と尋ねます。子どもたちはいずれは皆、社会人になり、家庭を築くようになるでしょう。子どもを一生懸命育て、働き、世の中の役に立とうという公共心を抱いてほしいのです。
味原校区は高齢化が進み、住民の方が一人何役も地域の仕事を受け持っていらっしゃいます。学校を卒業したら、何らかの形で地元の役に立てるような人間になってくれたらと思っています。
この学校に赴任して6年目になります。3月には退職を控え、今頃になってからあれもこれもすればよかったと色んな思いがよぎります。
毎朝校門に立ち、登校してくる子どもたちを迎えてきました。今では全員の名前と保護者の顔を覚えていますよ。
「うちの学校は仲良し学校やから、みんな仲良くやっていかなあかん。5年生頼んだで」という言葉を残して卒業していった子がいました。小さな学校ですが、地域に見守られ、こじんまりした雰囲気でみんな仲がいい。深い愛着を感じています。
大阪市立味原小学校(天王寺区味原町8‐19)
1910(明治43)年創立。児童数169人。 真田山公園の南に広がる校区内にはかつて、「味原池」があり、桃の花見の名所として知られた。
英語教育に長年取り組んでおり、卒業式では一人一人が「別れの言葉」を英語で披露する。今春は22人が巣立つ。
うえまち教室⑥ 学校探訪(5) 2015年2月号
大阪市立高津小学校 金井佳孝 校長に聞く
5回目は中央区の大阪市立高津小学校を訪問しました。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
子ども文楽学習 高津の誇り
金井佳孝 先生子どもの育ちには、学校だけでなく地域や家庭の教育が大きく影響します。
本校では、特色ある教育として地域と関わる「ふれあい学習」に力を入れています。高津自治連合会「豊寿会」の皆さんとは20年以上の交流があり、高津の昔話や和室の掃除の仕方、礼儀など多くのことを教えていただいています。また、校区内にある履物問屋街「御蔵跡」で店を構える方が、子どもたちに大阪市の伝統産業について話をしてくださったり、黒門市場では見学や職場体験をさせてもらったりしています。
そんな地域との交わりの一つに「子ども文楽学習」があります。
――文楽の授業とは珍しいですね。どのようなものですか。
高津は、19世紀に文楽の黄金期を築いた植村文楽軒が人形浄瑠璃の小屋を立ち上げた地です。校区内には本校の跡地に立った国立文楽劇場もあり、文楽の歴史がまちに息づいています。
地域にまつわるそんなお話を、「豊寿会」の皆さんが折に触れて子どもたちに語ってくださります。「高津の文楽」は学校と地域の誇りなのです。
「地域の伝統文化を子どもたちに伝えたい」という住民の皆さんの後押しもあって、2000年に6年生の総合学習で「子ども文楽学習」が始まりました。文楽協会の技芸員の先生に来ていただき、1年間かけて「太夫」「三味線」「人形遣い」の三業をグループに分かれて 学びます。その成果を、毎年11月に下級生や地域の皆さんの前で発表しています。
――まさに高津小でしかできない、地元の伝統芸能を活用した学習ですね。
プロの技芸員である先生方は舞台の合間に来校し、それは熱心に教えてくださいます。
文楽の義太夫語りには昔の美しい大阪弁が残っていて、言葉のイントネーションを大事にしながら子どもに伝えています。ここ数年は同じ演目を続けていますが、先生は「ここまでできるならもうちょっといけるだろう」と、毎年一歩先に進まれます。
今年度は三味線が上手になり、先生がほめてくださるほどでした。始めた頃は鶴澤清馗先生が舞台裏で弾いて応援してくださいましたが、今年は子どもだけで最後まで弾き通すことができました。
三味線が上達すると太夫や人形と合わせるのに苦労しました。最後は先生が何度も来てくださって何とか合わせることができましたが、芸が高まれば高まるほど三業一体となるのは難しい。奥深い芸能だと思います。
文楽は一般的に、難しいイメージを持たれがちです。でも、うちの子どもたちは楽屋や舞台裏に連れて行ってもらっているので興味深く鑑賞します。舞台で自分のお師匠さんが出ているときは、食い入るように見ています。手の動きや太夫の語りの細かい部分を、自分に置き換えて見ているようです。
――文楽という芸能そのものに魅力がありますし、プロからじかに手ほどきを受けるのも貴重な経験ですね。子どもたちはどんなことを学ぶのでしょうか。
技芸員の先生方はきちっとされていますから、子どもたちも先生の前でだらしない姿は見せられません。一つの道を究めている先生方のたたずまいから、人としての生き方や守るべきことを学んでいるようです。
文楽は各々が技能を高めるとともに、三業がそろって初めて成り立つ芸です。一人一人が精一杯頑張らないといけないし、自分が休んだら演技ができない。だから、日頃から健康にも気を付けなくてはなりません。
仲間と息を合わせて一つの舞台を作り上げていく過程には、責任感や最後までやり遂げる力、粘り強さ、コミュニケーション能力などが必要です。
人形遣いの桐竹勘十郎先生がいつも「人との間をはかる」ということをおっしゃる。「あうんの呼吸」であるとか「人と折り合いをつける」とか、大人になる上で必要な力というのでしょうか。自分の我だけでは生きていけないのだと。文楽学習を通して、そんな力が子どもの中で育っているのを感じます。
――生き方の学習にもつながっていくのだと。6年生の文楽は小学校生活の集大成ともいえますね。
「子ども文楽学習」は児童たちのあこがれです。1年生の頃から「自分は三味線をするんだ」という子がいるほどです。
本校では、掃除や児童集会など6年生のリーダーを中心とした縦割り班活動が盛んです。顔見知りの6年生が舞台で演じる姿を、下級生たちは尊敬のまなざしで見ますし、6年生には上級生としての自覚が生まれます。また「下級生や地域の方の前で文楽を披露する」という明確な目標も、学校生活に対する前向きな姿勢につながっています。
「1年間、文楽をやり遂げられる子」というのは教職員にとっても指導目標の一つです。学習規律や学力面、生活指導面でもそれに見合う力を鍛えようと。そうでないと、文楽学習の1年間が有意義に過ごせません。どんなことにも積極的に取り組み、つらいことも乗り越えていけるような子どもに育てていくつもりです。
大阪市立高津小学校(大阪市中央区高津3‐4‐21)
1872(明治5)年創立。児童数138人。もとは現在の国立文楽劇場の場所にあったが、1970年4月に南東約200mの現在地に移転した。卒業生に、文楽学習を機に文楽太夫になった豊竹咲寿大夫がいる。昨年、部活動に「器楽クラブ」がつくられ、6年生が4、5年生に三味線を指導している。2月1日(日)、運動場で「高津子ども餅つき大会」を開催。
関連記事
うえまち教室⑤ 学校探訪(4) 2015年1月号
大阪市立阿倍野小学校 民辻善昭 校長に聞く
4回目は阿倍野区の大阪市立阿倍野小学校を訪問しました。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
ICT活用授業のアイデア広がる
民辻善昭校長先生――大阪市教委が進めている情報通信技術(ICT)を活用した教育のモデル校として、電子黒板やiPadを使った新しい授業に取り組んでいますね。
4年ほど前、ICTを取り入れた授業が全国で少しずつ始まりました。それらを見聞きする中で、これから生きていく子どもたちにとってICTは特別なものではなく、「当たり前の道具」として使っていく時代だと感じました。
学校にはパソコン室がありますが、使うために子どもたちは毎度教室を移動しなくてはなりません。一方で、家に帰ればパソコンがすぐに使える環境が整ってきています。スマート フォンの普及もあり、今やインターネットは子どもにとって身近なものです。
子どもたちが社会人となる頃には、社会の情報化はもっと進んでいるでしょう。日常にあふれている便利なものに目をつむり、「学校では触れない、使わせない」で、社会に出てか ら自分でやれというのは無責任ではないでしょうか。 ICTを上手に使っていろいろなことができる力を学校で身につけさせたいと考えました。
2013年度から、大阪市教委が4つの小学校をモデル校に指定することになり、手を挙げた本校が選ばれました。
――最先端のメディアが実際に現場に入り、いかがでしたか。
3年生以上の全クラスに最新型の電子黒板が配置されました。最初は教職員も手探りでしたが、使い方に慣れてくると「なんて便利なものだろう」と、どんどん授業で活用するようになりました。
電子黒板と連動した「書画カメラ」は、教科書やノートなどを電子黒板に大きく映し出すことができます。これまで、教師が子どもに見せたいものは黒板に板書したり、拡大コピーをしたりしていました。電子黒板の導入で、手間が省け、分かりやすく見せることができるようになりました。
資料の一部分だけを大きく映したり、枠で囲んだりすることも簡単にできます。子どもが自分の考えを描き表し、投影しながら皆に説明したり、友達の意見を聞いて議論したりする機会も増えました。図工作品や理科の実験結果の発表にも活用しています。
――ICTの活用でこれまでできなかったことが可能になったのですね。先生方や子どもたちの反応は。
教職員は新しい試みに意欲的に取り組んでくれました。市教育センターから派遣された常駐のICT支援員の存在も心強いものでした。
電子黒板に続いてiPadも3年生以上の各学年に40台ずつ導入されました。教職員は毎週、研修会を開き、一から勉強しました。
ICTは一斉指導に大きなメリットがあるだけでなく、個人学習にもその特性が生かされます。どんな使い方をすれば授業により効果的かを探り、用途に応じたアプリも入れていきました。授業に対するアプローチは大きく変わり、「新しいことにチャレンジしてみよう」と教職員の意識が前向きになりました。ICTを導入した一番の収穫は実はこれかもしれません。
子どもたちも学習に意欲的になりました。物おじせずに皆の前で話をしたり、自分の考えを図にまとめてプレゼンテーションし、討議したりする力が育っていると感じます。
――具体的にはどんな授業が行われているのですか。
面白かったのは体育です。跳び箱やマット運動をするとき、自分がどんな動きをしているのか人から指摘されてもなかなかピンとこないものですが、iPadで撮影しすぐに再生して見ることで、弱点などを把握するのに役立ちました。運動会の学年演技の指導にも大変有効でした。「家の中の仕事」をテーマにした低学年の生活科では、自宅でお手伝いをする 様子をiPadで撮影し、皆の前で披露しました。5年生の理科では天気予報の授業でインターネットを活用し、雲の画像や天気図を集めて運動会の日の天気を班で予測しました。最 終的に、インターネットテレビ電話を通じて気象予報士に自分たちの天気予報を伝え、コメントを頂いたりしました。
――機械だけれどもコミュニケーションのツールになり、出会えないような人と話をすることもできる。授業のアイデアも広がりますね。
保護者からは情報機器の弊害を懸念する意見はないのでしょうか。
教育現場を大きく変える便利な道具ですが、そればかりに頼り過ぎてはいけないと常に自戒しています。図や絵、写真を使う授業には適していますが、やはり「ノートに書く」という 手作業の大切さを忘れてはいけません。
教育用のiPadは開発されておらず、学校では市販の機器を使用しています。フィルタリングで制限をかけていますが、もしかしたら外してしまう子もいるかもしれません。ネットいじめ等の問題も考えなければなりません。しかし、「危険な一面があるから子どもの間は一切使わせない」というのではなく、そうであるからこそ、使い方のルールも含めたモラル面も 学校でしっかり教えていくことが大切だと考えています。
PTAからは、運動会参加賞や入学祝いとしてタブレットペンなどのiPad関連品を頂きました。「ICTの阿倍野小」らしい品ということで選んでいただいたようです。保護者の期待の大きさを感じ、元気が出ます。
大阪市立阿倍野小学校(阿倍野区阪南町2‐17‐21)
大正12(1923)年、開校。児童数は367人。阿倍野区中央部に位置している。北を松虫通、東西をあびこ筋とあべの筋に挟まれた校区は閑静な住宅街が広がる。教室を地域住民に開放する「生涯学習ルーム」の活動が盛ん。
うえまち教室④ 学校探訪(3) 2014年12月号
大阪市立桃陽小学校 吉岡哲郎校長に聞く
3回目は天王寺区の大阪市立桃陽小学校を訪問しました。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
「自分の物差し」持てる子に
民間人校長1年目の吉岡哲郎校長 4月1日付で大阪市の民間人校長として桃陽小学校に着任しました。「毎日が感動」の日々を送っています。
それまで通算28年間ドイツで暮らし、今年1月に帰国しました。東京芸術大学でオーボエを専攻。その後渡独したのですが、耳の病気になり音楽から離れました。一般企業を経て、「ミュンヘン日本人国際学校」の理事兼事務局長として10年間勤務し、今日に至っています。
――なぜ民間人校長になろうと思われたのですか。
「日本の教育は世界に通用している。本質的なところは変えてはいけない」という思いが募ってきたからです。
新渡戸稲造は著書『武士道』でこう述べています。―日本人の行動規範の基は武士道にあり、西洋でいう騎士道にあたる―。
長く在外で生活し活躍している日本人の中には、日本にいる日本人よりも日本人らしい人がいます。『武士道』にある「仁・義・礼・忠・孝」を、在外にいるからこそより意識するからかもしれません。こういう日本人はドイツでも高く評価され、尊敬されています。この規範意識は、新渡戸の時代から現代の日本の教育に至るまで引き継がれているのではないでしょうか。
東日本大震災も大きな契機となりました。
ご存知の通り、地震と津波に襲われたときの日本人の対応は高い評価を得ました。一方、原発の対応では「日本人の価値観や意志が見えてこない」と疑問の声が聞かれました。
「自分の考えや意見を持っていない人とは話す意味がない」とヨーロッパ人は考えます。誰かの価値観を受け売りするのなら、その人とではなく他の人と話せばいい。自分しか言えないことを、みんなが理解できるやり方で表現することを求めるのです。
将来、国際的に活躍することを求められている子どもたちは、この弱点を克服しなければならない。その取り組みは、義務教育の早い段階で始めるべきだと考えました。
――日本では「世間」というものが自己判断の基準になりやすい。外国から日本を見たからこそ、そんな特徴が際立って見えたというわけですね。
おっしゃる通り、子どもだけではなく大人も、「世間」という「物差し」を持たされることに慣れてしまっているのかもしれません。
文部科学省は学習指導要領の中で、変化の激しい社会を担う子どもたちに必要な力は「生きる力」だとしています。求められているのは、自分で考え、意見を持ち、それを表現し実行するパワーです。
――実際の現場に身を置き感じることは。
感銘を受けたのは、大阪市教委や教職員の取り組みです。
「他の全てのことより、子どもたちのことが最優先される」ことが徹底されており、3か月の研修で私もたたき込まれました。実際に先生方はこれを実践し、「生きる力を養うこと」に軸足をしっかり置いています。
着任以来、私は毎日子どもの成長を目の当たりにしてきました。冒頭の「毎日が感動の日々」とはこのことです。
――地域と学校のつながりについてはどうお考えですか。
地域の方々は桃陽地区をこよなく愛し、そこで成長する子どもたちを温かく見守っていらっしゃいます。桃陽小は、そんな地域の皆さんの学校です。
子どもたちが世界で活躍する人を目指し、それを支援するのも学校の大切な使命ですが、まずは「一番近い人たちの役に立つこと」が先ではないでしょうか。お隣のおじさんが、子どもたちの成長を実感できてはじめて、地域から大阪に、大阪から日本に、日本から世界に飛び出していく人が育つと考えています。学校は、大切なお子さんを預かり丁寧に育んでいくところ。地域の価値観を尊重し、皆さんからの要望をできる限り実現したいと考えています。
――学校のグランドデザインの一つに「公立学校の新たな価値の創造」を掲げています。
子どもたちは美しさを感じ取る力を持っていると信じています。「子どもだから未熟で高尚なことは理解できない」と私たちは思い込んではいないでしょうか。
先日の公開授業で作曲家の宮川彬良さんを招いたのは、音楽家の中でも〝超一流”である彼との出会いで、子どもたちが必ず何かを感じてくれると信じていたからです。
私とは比べることなどできない才能の持ち主や偉大な精神を持った人が桃陽小の子どもたちの中にはいるに違いない。そういうリスペクト(尊敬の念)を念頭に置き、子どもたちが一流に触れることができる学校環境を目指しています。
――日本の教育の良さを認めつつ、学校の常識を変えたいという思いが伝わってきます。
「今の子どもたちの65%は、現在ない職業に就く(米・キャシー・デビッドソン)」とも言われます。
「変化する社会に対応する力」を身に付けても、時代の波には乗れないかもかもしれません。「社会を変化させる人」「時代の波を作る人」が求められていると予感しています。
天王寺区と桃陽の皆さん、そしてかわいい子どもたちとのご縁を頂けたことに感謝しています。校長室にいると子どもたちの元気な声が聞こえ、この上ない幸せを感じています。
大阪市立桃陽小学校
(天王寺区堂ヶ芝1‐2‐23)
1923(大正12)年に開校し、現在の児童数は460人。小規模校だったが、大阪赤十字病院周辺の大規模マンション開発で児童数が急増している。
校名は、かつて桃畑が一帯に広がり地域が「桃山」と呼ばれていたことに由来。教育目標は「感謝の心を育む」。学校HP「校長雑感」で情報を発信している。
関連記事
うえまち教室③ 学校探訪(2) 2014年11月号
追手門学院小学校 東田充司校長に聞く
2回目は中央区の追手門学院小学校を訪問しました。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
偕行社以来の伝統 今も
第21代校長 東田充司先生私は小学生時代、電車通学だったんです。色んな学校の子が車内にいる中で、姿勢正しくりりしい赤ネクタイの男の子がいたのです。ある時、「すごいね」と尋ねました。すると「追手門学院小って規律正しい学校なんだ」と。そのりりしさと志の高さを感じ、感銘を受けたことを今でも覚えています。これが私と追手門学院小学校との最初の出会いです。
旧陸軍将校の子弟が通う「大阪偕行社附属小学校」として1888(明治21)年に開校した西日本最古の私立小である本校には、創立以来の伝統が受け継がれています。登下校の際は「一列で壁際を歩行する」「おしゃべりしない」「ホームでは静粛に休めの姿勢で待つ」というきまりがあります。朝は校門で一礼し、学校に対して敬愛の気持ちを表します。社会の一員である「小さな紳士、淑女」として子どもたちを大切に育てています。私たちの教育の第一義は、礼儀と礼節。次世代のリーダーにふさわしい人材を育てるのが、本校の校是です。
――リーダーを育てるという高い教育理念のもとに、『知育・徳育・体育』にわたる全人格的な教育が行われているのですね。
リーダーを育てるというのは、何も一方的な指示をする、相手の気持ちを理解しようとしない、わがままな存在をつくろうという発想では決してありません。
本校の創設者、高島鞆之助は薩摩藩出身の藩士です。幼い頃から西郷隆盛に非常にかわいがられたと伝えられています。鹿児島の城下町に伝わる「郷中(ごじゅう)教育」をご存じでしょうか。地域の異年齢の子どもたちによる、「勉学、武芸、礼儀作法」の3つを年長者が年少者に教えるという薩摩藩伝統の縦割り教育です。
郷中教育の教えに「負けるなうそをつくな 弱い者をいじめるな」というものがあります。苦しい立場、つらい立場にある人の思いに立って行動したり、発言したりできることが真の リーダーシップの育成ではないでしょうか。この目的達成のための教育実践こそが、本校の縦割り教育です。
――異年齢学習ではどのようなことをするのですか。
学年の枠を超えて共に行動する「校外班」を組織しています。方面別下校や、大阪城活動の際には、この校外班で行動します。上級生が中心となって下級生の面倒を見ることで、上級生にはリーダーシップが芽生えます。上級生の姿勢に、下級生は憧れの思いを持つようです。
――剣道や英語教育、遠泳、学習合宿など多様な取り組みをされています。しつけとともに全人格的に調和のとれた教育はまさに「質実剛健」「文武両道」といった言葉がふさわしいですね。
礼儀や規律、集団教育を大切にする学校ですが、それ以上に毎日の学校生活の中で子どもたちが発表したり自主的な発言をしたりする場が数多くあります。こうした考え方は、1913(大正2)年に就任した第8代校長の片桐武一郎にさかのぼります。戦前より現在の児童会活動を推進したのも片桐が始めたものです。当時の社会情勢では画期的なことでした。しつけに厳しい学校である一方、とてもリベラルといいますか、自分たちで何か作っていこうという進取の精神がずっと息づいています。
「臨海学舎」と呼ばれる夏の水泳訓練では、5・6年生が参加し遠泳をします。成し遂げた感動や自信は一生もの。3㎞泳ぎきった子どもたちは見違えたようにたくましくなっています。心身を鍛える剣道の授業や座禅会、体育大会での一糸乱れぬ入場行進なども本校の伝統として大切にしています。
――お話を聞いて、まさに伝統の継承が人を育てていると感じました。先生方も誇りを持って日々授業に取り組まれているのでしょうね。
縁あって本校に奉職して33年になります。伝統を継承しつつ、その時々の子どもたちの将来に合わせた教え方を心がけていますが、根底の教育理念は一切変わりません。
例えば情報端末を使ったICT教育。日本の情報教育をけん引してきましたが、人の手による教育こそが第一と考えています。2年生で書き方、3年生で毛筆習字を専門教員が指導しています。文字を書くときのトメやハネといった細かい部分を示すには、色の濃淡が出るチョークによる板書が欠かせません。黒板による授業を大切に継承しているのです。
本校に赴任した教員には板書の特訓が必須です。日本の教育が培ってきた素晴らしさを、この学校の校是とともに継承したい。その中で新しいことにも果敢に挑戦していきたいと考えています。
追手門学院小学校(中央区大手前1‐3‐20)
西日本の私立小で最も長い歴史を誇り、今年度で創立126年を迎える。大阪城旧三ノ丸に位置する自然豊かな環境で、天守閣まで約0・5㎞の距離。教室や運動場から見える 天守閣は児童たちにとって身近な存在だ。中学受験に強く進学校としての側面もあり、明治時代から医師を目指す子が多いという。現在の児童数は886人。教育目標は「敬愛・剛毅・上智」。
うえまち教室② 学校探訪(1) 2014年10月号
大阪市立聖和小学校 久保雅英校長に聞く
文教地区として知られる上町台地の教育をテーマに、「学び」について考えるコーナー「うえまち教室」。はじめは地域の学校を訪ね歩く「学校探訪」企画。各校の特色や地域との関わりなどについてお伝えします。初回は天王寺区の聖和小学校を訪問しました。聞き手は大阪教育大学教授の森田英嗣氏。
社会科教育に力 学力の土台に
4月から赴任された久保雅英校長――聖和小の特色を教えてください。
本校は社会科・生活科の教育、特に研究活動が盛んな学校です。私を含め歴代校長も、社会科教育が専門の先生の着任が続いており、学校挙げて継続的な研究が進められています。
また、教職員全員で授業研究会をほぼ毎年実施しており、全学級の公開授業も行っています。そうした取り組みが基本的な力となって日々の授業に生かされているのではないでしょうか。社会科の授業をしっかりできるようになると、その他の教科もおのずと指導力がついてきます。
教諭らによるICT研修の様子 社会科研究の全国大会の会場校としても発表しています。来年度は近畿大会の会場校になります。発表に向けて、研究を深め公開授業の準備を進めています。
――先生たちの研究成果に基づいて授業をつくっているのですね。
教育の先端を行こうとしているのが本校の社会科教育です。研究したものを日々の授業にどう生かしていくか。研究成果が教育現場のスタンダードとなっていくためにはそうした観点が大切だと教職員には話しています。
――平成25年度「全国学力・学習状況調査」のデータによると、聖和小は「授業がよく分かる」という割合がすごく高い。調査は国語と算数だけですが、力を入れている社会科がその他の教科もけん引しているということでしょうか。
そうですね。文科省や国立教育政策研究所の分析で、「総合的な学習の時間」の取り組みと学力との相関関係が指摘されています。「総合的な学習の時間」というのは、自ら課題を見つけ、学び、ものの考え方を身に付けるというもの。それは、もともと社会科がスタートにあるんです。そういう意味では社会科教育に付随して、他の教科も含めた子どもたちの「学ぶ力」が育っていくように思います。
――面白いですね。「総合的な学習の時間」を熱心にやっているところは他の教科も前向きに取り組む条件が整いやすいと。テストは国語や算数の力をはかるものですが、聖和小ではむしろ学力そのものの底上げを図るような教育に取り組まれているのですね。
テストの成績を上げるということでしたら、すぐに成果の現れるような取り組みも必要かもしれません。しかしそういった即時的なものだけではなくて、子どもたちの土台となり下支えするような力をつけてやりたいと考えています。
――校長がやりたいことに自由に使える「校長経営戦略予算」の加算配布対象校に選ばれたそうですね。
予算を活用して、デジタル教科書を買ったり電子黒板を各学年に1台ずつ配置したりする予定です。「ICT」を活用した教育についても積極的に取り組んでいきたいと考えています。
――聖和小学校区は地域との結びつきが強い学区だと聞きました。
3世代で卒業されたという方も多く、地域の皆さんが学校を盛り立ててくれています。毎日通学路に立って児童を見守ってくださったり、授業の中で昔遊びを教えてくださったり。
地域の取り組みの中に三大フェスタというのがありましてね、「聖和サマーフェスタ」「聖和防災ふぇすた」「聖和フェスタ・もちつき大会」の3つなんですが、このような地域行事も通して子どもたちを温かい目で見てくださいます。古い情緒を残した土地柄でありながらも、新しく入ってきた方が地域に溶け込めるよう心を砕いておられるようです。
――今の子どもたちを見ていてどう思いますか。
子ども同士だけでなく大人に対するやり取りにおいても、気持ちを伝えるのに短い言葉でしか言い表さない。言葉が育っていないと感じる場面を多く見かけます。本校は言語力の向上に焦点を当てた研究にも取り組んでいますが、それだけでは十分とはいえません。言 葉というのは日々の生活の中で鍛えられるもの。しっかりと相手に気持ちが伝えられるよう、教職員も意識を持って児童に言葉がけをしています。
――教育現場で時代の変化を感じることはありますか。
昔に比べ、保護者や社会から学校に求められることが増えてきました。時間はいくらあっても足りませんが、ゆとりある教育ができる環境を整えるのが校長の務め。教職員とはいつも「子どもたちに必要な力をどのようにつけるのか」と話しています。
本校には長年、社会科の研究に力を注いできたという自負があります。そんな良き伝統を受け継ぎ、さらに発展させていきたいと考えています。
大阪市立聖和小学校(天王寺区寺田町1‐6‐37)
1909年(明治42年)創立。児童数395人。「聖和」という校名は、校区に隣接している四天王寺の開祖、聖徳太子の名前「聖」と、太子が定めた「十七条憲法」から「和を以て貴しと為す」の「和」をとって名付けられた。周辺のマンション開発等の影響で、児童数は増加傾向にある。
「うえまち教室」① 2014年9月号
「学ぶ」の情報提供
大阪教育大学の森田英嗣教授を迎え、上町台地の教育の課題を探る企画「うえまち教室」が始まります。教育の現場に足を運び、様々な角度から「学び」に迫る内容。第1回は森田教授と進める企画の概要を説明します。
森田――文部科学省が進めている「コミュニティ・スクール」という取り組みがあります。学校や保護者、地域住民が知恵を出し合い、学校運営や子どもの成長を支えていくというものです。「地域とともにある学校づくり」を目指して、環境を整える動きが現在進んでいます。
「うえまち教室」では、ターゲットを3つに分け(左記)、国や教育委員会などの全体的な方針、現場の独自性、生まれている課題などを実際の現場を訪れて取材。読者の皆さんが上町台地の住民として「教育の参加者」となれるような有益な情報を提供したいと考えています。
何かを学ぶことによって人は成長します。学びを提供する立場にある人、自ら学びたいと思う人にも注目し、「学ぶ」とはどういうことなのかを毎回、様々な内容でお伝えしていきます。
新シリーズ 「うえまち教室」
大阪教育大学教授 森田 英嗣氏 2014年8月号
上町台地で学び、人生つくる人たち見たい
文教地区として知られる上町台地の「学び」は今、どうなっているのか。『うえまち』では9月号から、大阪教育大学の森田英嗣教授を迎え、上町台地とその周辺で起こっている教育の課題を探ります。また、子どもだけでなく大人のための学習機会がどのように提供され、どんな思いで学んでいる人たちがいるのかなど、教育の現状を様々な角度から見つめます。シリーズスタートに先立ち森田教授自身にインタビューに応えていただきました。
高校の時、一時期不登校になりました。アメリカに留学して戻ってきた1年上の先輩と親しくなり、自分の頭で考え、人生を切り開こうとしている先輩の姿に影響されたのです。千葉県の進学校に通っていましたが、「なぜ学校に行くのか」「なぜ受験勉強をしなくてはならないのか」と一気に疑問が噴出しました。当時の共通一次試験のあり方にも疑問を抱き、世の中のこと全般に不安を覚えたものです。
結局、大学受験をせずに上京し、1年間新聞配達をしました。でもこの生活を続けるわけにはいかず、「違和感」を感じた教育について考えてみようと教育学部に進むことになりました。僕の研究には今も、この「違和感」が根っこにあるような気がします。
専門は教育方法学です。うまくいく授業とはどういうメカニズムか、授業を受けたい子ばかりが来ているわけではない中で、何を教えて何を教えないかなど「教える」と「学ぶ」ことの意味を考え続けています。あと大きな捉え方では、子どもを立派な市民にするためにはどういうことを教え、どのように学んでもらうべきなのかということも。市民というのは会社勤めの人や地域で働く人、父であり母であり色々な役割を持つ大人のことです。
我々の先輩はこれまで、時代ごとのニーズに合わせて問題意識を持って新しい授業を作り続けてきました。でも、「先生になれば、今度は自分がその作り手となって新しい時代に合う授業を作っていくんだ」と、学生たちには伝えています。
最近、大教大の中にある放送大学で卒論を書いている学生さんとともに、高齢の学生さんに「なぜ学ぶのか」とインタビューしています。聞けば色んな人生談があり、胸を打たれます。うれしそうに勉強をしている様子を見ていると、20年後あるいは30年後に超高齢化社会を迎えたとき、こうした人たちのニーズをどう満たしていくのか考えさせられます。
上町台地には、どんな人たちがどんな願いを持って学んでいるのでしょうか。学ぶということはある種、余裕がある人たちの行動ともいえます。学ぶことを助け、背中を押してくれる人がそばにいるということ。心理面、福祉面のサポートがある中でチャンスをつかみながら懸命に学んでいる人たちを見ると愛おしくなります。放送大学で「学ぶのが楽しい」と話していた方は94歳でした。「人間は学ぶことによって生きているのだ」とつくづく思います。そんな方たちの姿に読者の皆さんはきっと勇気づけられるでしょう。上町台地にはどんな「学び」の施設や機関、サービスがあるのか。楽しく学んでいる人たちの姿、人生をこれからたくさんご紹介したいと思います。また、この企画を機に、僕が地域の人とつながり合うきっかけになればうれしいです。