田端 修(都市プラン・デザイナー)× 高口 恭行(一心寺長老)
夕陽丘まち談義
夕陽丘から上町台地へ(2) 2015年7月号
天王寺・住吉大社につながる都市デザイン策 <最終回>
〈高口長老〉夕陽丘から上町台地につながる今回の話題でこの連載も一区切りと聞きましたが―。
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夕陽丘の都市デザインを広く大阪の軸づくりに結びつける提案を最後に、このシリーズを終えたいと思います。前項では上町台地の歴史文化軸づくりのために、北寄りの高津・大阪城への連続化・連担化策について述べました。これを南方につないでゆくことも当然の成り行きです。夕陽丘地域の南端にあたる一心寺は、天王寺公園そして阿倍野のターミナルエリアに直結します。しかし、これまで公園の入口は阿倍野にあり、こちら側からは直接入れない出口専用ゲートしかありませんでした。
その北入口が開かれ、自由に通行できるようになりました。2014年秋に始まった「大坂の陣400年記念」のイベントに合わせ、公園内には茶臼山史跡碑が建立され、同時期に一心寺南向かいにあるゲートが常時オープンしたのです。
人が住み働いている「既にある場所」「都市の一部」を少しずつ手直しし、大事なものは維持保全するのがまちづくりの基本です。使い方の工夫もその一つです。ゲート開放により夕陽丘と天王寺間が公園内でつながることは、地道で、ささいに見えますが、まさにまちづくりの好例といえましょう。
上町台地の歴史文化軸は、さらに南進し帝塚山・住吉大社へとつながります。大阪城からは、高みにあたるルートを選んでおよそ10㎞です。まさに長い目で、多彩な見どころ(写真は一例です)がつながり合う一帯として、道案内・標識を含め都市デザインする作業が望まれます。
都市空間を美しく、また使いやすくするために、改善・改修を続ける都市デザインという作業は、結果として住みやすさと場所への誇りを高める効果を果たせます。
そして、これらを感じ取るのは「人」「一人一人」であり、そんな感性を磨くためのまちの風景や環境の捉え方に、私の連載が役立ってほしいと思い続けての5年間です。ありがとうございました。
夕陽丘から上町台地へ(1) 2015年6月号
高津・大阪城につながる都市デザイン策
〈高口長老〉4月の人形フェスティバルについて、まちづくりの観点から考えようというわけですね。
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夕陽丘の都市デザインを主題にしてこの連載を続けてきました。ここで対象エリアとしたのは、上町台地の西裾を区切る下寺町筋と台地頂部を通る谷町筋の南北幹線道路(この間、約300m~350m)と、千日前通を北限とし一心寺や四天王寺に接する国道25号沿道 周辺を南限とする東西方向の幹線道路(この間、約1500m)によって囲まれた一帯です。
改正懐宝大阪図(1752~)に見る夕陽丘・高津付近の社寺群 大量の車が通行する幹線道路は、安全な歩行圏域を区切るボーダーとして、まちづくりなどの範囲を区切る節目になることが多いようです。一方で、普段の暮らしのなかでは、散歩にしても足を延ばしたりして、自在にまた必要に駆られて、交通標識を見ながらこの間を横断することになります。
さしずめ高津神社などは、千日前通が今のように拡幅されるまでは地続きであったわけで、夕陽丘とは一体の地域でした(図参照)。さらにいえば秀吉や江戸政権により、大阪城から南方向の八丁目口・生玉周辺を含め、ひとつながりの寺町群として造成されたのがこの地域です。大阪城から高津・夕陽丘地域の連続性を回復することは、上町台地および大阪の都市史を確かめる上で必要な作業といえます。
大阪市の全体イメージとして、いくつかの南北ゾーンの集まりとして整えるという方向性があり得ます。御堂筋や堺筋を軸とするビジネスゾーン、臨海エリアの流通・港湾ゾーン、東部の職住機能が混じり合う内陸市街地ゾーンなどです。そして中央部の上町台地には、ここに育まれた歴史と緑住機能が組み合わされた歴史文化ゾーンの形成が期待されます。
夕陽丘地域が南北方向に向かって、よりスムースにかつ快適な空間として広がり、上町台地一帯の連続感・一体感を高める方策を進めたいものです。ここではまず、千日前通を越えて北側エリアにつながるまちづくり策の必要性を提案しておきたいと思います。
人と環境をつなぐまちづくり(3) 2015年5月号
なにわ人形芝居フェスティバル
〈高口長老〉4月の人形フェスティバルについて、まちづくりの観点から考えようというわけですね。
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「なにわ人形芝居フェスティバル」は、平成8年以来、毎春開かれています。この催しは、夕陽丘一帯の30余のお寺や神社などが主催する一大地域イベントで、全国各地の人形劇団や人形劇サークル、あるいはさまざまのパフォーマーが集まり、境内地や本堂その他の施設を会場として繰り広げられます。お客さんは当然、子ども連れのヤングファミリーが多く、社寺のまちにとって見慣れない華やかな一日になります。
人形芝居フェスティバルのお知らせ看板 (平成27年3月、天曉院前) 人形フェスティバルのホームページをのぞくと、大阪にある数箇所の「寺町」のうち夕陽丘は中でも立地する社寺の密度が高い宗教タウンであり、その存在や独特の美観をもっとよく知ってもらいたいとする主催者側の願いが書かれています。
この地域にある社寺境内の広場や建物施設は比較的中規模のものが多く、人形芝居という演目の会場としては適合性が高いように思われます。祭りを見る人々が、普段は遠ざかっている宗教的な空間・場所に触れられる機会となるのも意義深いことです。そういうこともあって社寺が中心となって、市民に開かれた手作りの文化活動が実行されているわけで、まさに地域ならではの環境を生かしたまちづくり活動が繰り広げられているといえます。
よく言われるように、祭りそのものは一過性のものですが、周到な準備作業と楽しみの提供を広げる中で、地域の結びつきを強め、また広く認知度を高める役割を果たすことができます。今後の方策次第では、集客力を高めての経済的な効果もあり得ます。地域を代表 するイベントとして広げていく誘導策があってよいのかもしれません。
人形フェスティバルのさまざまな展開可能性を含め、地域の社寺群を中心とするソフトな試みがハードなまちづくりの方向へと広がっていくことが期待されます。
人と環境をつなぐまちづくり(2) 2015年4月号
マイルドHOPEゾーン事業
〈高口長老〉建物や町並みなど、具体のまちづくり策はどうでしょうか
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「人と環境をつなぐまちづくり」というフレーズは、この連載を通じての立ち位置と考えています。夕陽丘における暮らしの安楽や快適性、歴史や風景などの文化性といった人々の関心事と、台地の崖線緑地・坂道・社寺境内・門前町・眺望・町並み景観などの環境要素との関係性を描き出せたらと、心がけてきました。「まちづくり」は、これらを絡ませつつ地域を整える作業といえますが、行政による施策のうち「上町台地マイルドHOPE(ほーぷ)ゾーン事業」はこれに近いまちづくりの仕組みです。
多彩な活動が含まれていますが、地域らしい町並みづくりを目指して、「四天王寺の門前町」「七坂沿道」などを対象に、伝統的デザインに沿う建物改修工事費の一部を市が補助す「七坂沿道」まちなみ修景補助制度のガイドライン(大阪市資料より)る仕組み―まちなみ修景補助制度―も設けられています。 この種の具体(ハード)の整備策と、歴史や暮らし、また文化などの見直し・再発見イベントなどのソフト作業を通じて、まちへの誇りを育て、地域コミュニティーを活気づけようというのがホープ事業の目的です。「人と環境をつなぐ」ために伝統的な地域資産を活用する策といえましょう。
1983年、住まいづくりに地域らしさを生かすべく国が提唱した地域住宅計画(ホープ計画)がその始まりで、大阪市では船場、天満、住吉大社、田辺、平野郷、空堀そして上町台地などの地区を取り上げ、事業を展開しています。
ですが、残念なことにこの支援策は10数年程度をひと区切りに終了すると聞きます。町並みづくりというのは、小さな建物をこつこつ手直しする作業の積み重ねであり、手間はかかるが急には効果が見えてこない地味な作業です。最近は個別の行政施策について事業 評価をキチンと行なうという方法が採られていますが、短期間で結果判断を下すのが拙い事業もあると考えます。
上町台地マイルドホープ事業は、町並みなどのハード策よりも、上述のソフト策に重点を置いています。そういう条件のもと、この地域でこそ時間をかけ、町並み支援策を継続・運用していってほしいと考えます。
人と環境をつなぐまちづくり(1) 2015年3月号
大阪ガスのU-COROプロジェクト
〈高口長老〉地域人口の話題は、次にまちづくりにつながっていくわけですね。
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前3回の話題をまとめると、地域の性格・特色は、歴史を通じて蓄えられてきた環境ストックと人々のつながり・相互関係―モノとヒトの共感性―がつくっているということができるでしょう。住む、働く、あるいは訪問するなど、それぞれに目的をもつ多様な人々が集まり、関係を紡ぎ合い、そして地域の諸施設や土地・自然や歴史がいきいきと利用され、手を加えられていくわけです。人と環境が相まっての暮らしのつながり・関係を強めていくことがまちづくりの本来の目標なのではないでしょうか。これを「人と環境をつなぐまちづくり」と言おうと思います。
U―CОRОプロジェクトの第1段階とりまとめ図(同ホームページより) このような考えから地域を見回して気がかりな事態は、マンション建設の拡大と居住人口の増大ということです。両者のつながり・関係をつくる十分な時間がないままに、急速に変化が進んでいるように思えてなりません。
それは、現代の都市社会が共通して抱えている基本問題ですが、夕陽丘ではこのことがとりわけ顕著であると考えます。
大阪ガス㈱エネルギー・文化研究所では、2007年以来「地域資源の活用とつながりの再デザイン」を旗印とする社会実験「U―CORO実験プロジェクト」を進めておられます。マンション居住者の急増と高齢化・小世帯化が進む状況を踏まえる中で、地域の諸資源・文化的集積を生かしつつ、人々の交流・新しいつながりを重ね合わせようとする実践的活動です。谷町6丁目に大阪ガスが「実験集合住宅NEXT21」を設置している縁もあって、これを一拠点として上町台地一帯のまちづくりのきっかけを考えたいとのもくろみです。
プロジェクトの詳細はホームページなどに掲載されていますが、その活動は2012年からは第2期目に入るなど、ゆっくりと時間をかけて展開されています。まさにモノとヒトの多様なつながりの欠如を補う仕組みにふさわしい姿勢であると思わされます。
夕陽丘まちづくりを支える人々(3) 2015年2月号
来訪者を誘う環境ストック
〈高口長老〉夕陽丘には、仕事以外にも来訪者を惹き付ける様々な機会や魅力がありますね。
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夕陽丘の各所で観光や散策にやってくる人をあちこちで見かけられることと思いますが、近年そういった来訪者が増えているようです。この地域の社寺や坂道をめぐる様々なルートも開発されており、天王寺区役所や地域の社寺などに置かれています。
では実際にそのような来訪者はどれほどの数になるのでしょうか。最近は大阪市も観光客誘致に熱心とのニュースもあるので、区役所に聞いてみたところ、そんなデータはないということでした。上町台地一帯の観光案内役をつとめておられる民間組織「てんのうじ観光ボランティア・ガイド協議会」にお聞きすると、近年の年間ガイド件数は110回、案内人数は3000人ということでした。人形フェスティバルの一光景(2014年、一心寺境内で)
これらグループでの来訪者のほかに、案内書を頼りに歩くなどの個人の方もたくさんおられます。昔、京都市で観光客のグループ人数を調べた時は、4人以上のグループで観光に来る人は30%程度、残りの70%は小人数で三々五々やってくる人々です。上記の天ボラの数字に対応させると3人以下の来訪者70%は7000人になりますから、総訪問数は1万人と推計できます。
しかし、夕陽丘一帯で目立つのは、このようないわば日常的な観光・散策以外の来訪者でしょう。公的に発表されたデータは見当たらなかったのですが、推測を交えつつ数え上げると、お盆や年明け、彼岸あるいは様々の法要などに際してのお参り客は年間でゆうに2~300万人の規模になるはず。ネットを繰っていてたまたま見つけた、四天王寺10万人、生國魂神社20万人というお正月の参詣客数はその手がかりの一つです。
また地域一帯に展開される春の人形フェスティバル、さらには愛染堂(勝鬘院)の「愛染まつり」、生國魂神社の「いくたまなつまつり」といった地域行事・イベントなどにも多くの人々が詰め掛けています。集客力の大きさは環境魅力の再編、まちづくりなどにつながるわけで、再評価する必要があると思われます。
夕陽丘まちづくりを支える人々(2) 2015年1月号
働き手を誘う環境ストック
〈高口長老〉まちづくりと地域人口のつながりを考えていくと、夜間人口だけでは説明できない事柄も見えてきますね。
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前回、「環境ストック」が夕陽丘の居住人口増加にあずかっていると述べました。ここまでくると、まちづくりを論じるに際して、まず緑のまちづくりについて考えた訳がお分かりいただけるでしょう。この地域のみどり環境のグレードの高さが、社寺群や文教施設などをも加え、地域のイメージ形成に作用し、マンション需要の人気スポットたらしめているということです。この環境ストックの高さは、エリアで仕事をする人の数(従業人口)や社寺巡り・坂歩きなどに訪れる観光客の数の多さともつながっているように思われます。
前項に見た夜間人口をベースに、昼間時における通勤・通学でこの地域から出て行く人と、逆に他の地域から入ってくる人の数などを合算した「昼間人口」という数え方があります。 天王寺や上本町などのターミナルエリアでは、働き場としての性格が強いことから夕陽丘の人口特性を象徴する、学校(のグラウンド)・寺院・マンション昼間人口が圧倒的に大きくなるのですが、純然たる住宅地の場合は働きに出る人の分が差し引かれるわけで、昼間人口は夜間人口より小さくなります。ところが、夕陽丘地域の数値は8400人弱(2010年)であり、夜間人口を50%以上も上回る結果を示しています。周辺地域の 中ではこの数値は群を抜いて特異なものです。つまり、周りのまちに比べると、夕陽丘エリアには数多くの働く場や学ぶ場が用意されているわけです。
より詳細には、教員・僧職・神職者その他の、いわゆる専門職につく人の多さや、通学してくる学生たちのボリュームがもたらしているといえるでしょう。寺社や学校施設が大きな割合 を占めている、この地域の土地利用・敷地利用の状況を思い出していただくと、昼間人口というものが、まさに「環境ストック」と緊密な関係にあることが分かると思います。
夕陽丘まちづくりを支える人々(1) 2014年12月号
住み手を誘う環境ストック
〈高口長老〉緑のまちづくりから、まちづくり全般へと話題を広げてくれますか。
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まちづくりの基本要件である「地域人口」について考えます。夕陽丘地域に住まい、働き、あるいは来訪する人の数はどれほどか、どんな特徴があるのかといったことです。
まちにはそれぞれに多様な課題・問題や市民から寄せられるニーズがありますが、前項で見た緑のまちづくり策はその一つ。しばらくは、地域全体の現状や未来を考える「まちづくり」の出発点として、主人公となる人口的な特性を確かめたいと考えます。
天王寺区など行政区単位の統計数値は市区のホームページなどを開けばすぐに見つけられますが、ローカルなエリアになるとそうはいきません。結局、大阪市による町丁区分ごとの人口データにたどりつき、図示のエリア約56 ha※(地図上で筆者が測定した面積)について、地域人口を計算しました。
夕陽丘町丁区分図
2013(平成25)年は、世帯数3100世帯余、人口総数5400人余でした。過去の資料をたどってみると、2005(平成17)年では2500世帯余、4900人弱、33年前にあたる1980(昭和55)年は1600世帯弱、4100人余となっています。ちなみに直近の人口密度は96人/ha と計算されます。全市域の120人/ha、天王寺区の153人/haと比べてみるとき、多数の社寺境内地や学校敷地などをもつ夕陽丘でのこの数値は十分に大きいといえます。
夜間人口は長らく増加傾向を保っていますが、大阪市全体ではこの間ほんの微増に留まっていることを考え合わせると、この地域の住宅地としての魅力の大きさが理解されます。人口増加・世帯増の多くは谷町筋に近いエリアにみられるマンション建設に負っているはずですが、これら新規来住を誘う魅力条件は、夕陽丘が蓄えている特徴的な地域環境、すなわち数多い社寺や文教施設そして地域の自然樹林・公園などの緑地などがつくる環境的蓄積―環境ストックと呼びましょう―が身の回りにあることだと考えます。長い歴史が 培った環境ストックやそれらが醸し出す地域イメージをマンション側が享受するという相互依存関係が見えてくるわけです。
※1ha(へクタール)は1万㎡、地区レベルの計画策定などに用いる面積単位
夕陽丘の樹林環境(3) 2014年11月号
みどりの実態調査③
〈高口長老〉夕陽丘での緑化推進策について考えようとすると、場所ごとの違いが問題になりますね。
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夕陽丘のどの辺りに、どのように樹林が生育しているかを見ることにしましょう。地域を図のような4ゾーンに分けてみると、学園坂から北側のC・Dの2ゾーンエリアに調査対象とした樹木のほぼ8割が集まっていることが分かりました。北から見ると、生國魂神社・生玉公園の樹林ゾーン、そしてこれに続く発達した斜面樹林帯がつくり上げている緑です。さらに南寄りのAとBのゾーンに進むと、斜面樹林は維持されてはいるものの、その厚み・幅はC・Dゾーンには及びません。大江神社・安居神社などの社寺境内地を歩けば、一般市街地では見いだし得ない厚みのある樹木群を感じ取ることができます。C・Dゾーンの緑地の豊かさは推して知るべしということになるでしょう。
ゾーンごとの樹木数
*高さまたは樹冠(枝葉の繁り部) 5メートル以上の樹木について 本数の多い樹種について見ると、クスノキは昔からの神社地と比較的新しく植えられた公園内などに多く分布しています。一方、エノキ・ムクノキは斜面地に数多く見受けられますから、これらは自然な形で存続してきている樹種と考えられます。手入れの行き届いた前者に対して、後者は落葉・落枝が取り除かれないことから、鳥・昆虫なども生きやすく、都市の中の貴重な自然環境を維持する役割が大きいと、調査仲間の篠沢健太さん(現在、工学院大)は評価されていました。
以上のことから、夕陽丘の樹林群の維持・育成を進め、「巨木の森」を目指すためには、公園・境内地・宅地などの緑化策だけでなく、斜面地などにおける自然生態の保全策という2方向の取り組みを考えねばならないといえるでしょう。さらに緑のまちづくりにまで視野を広げるとすると、寺社や住宅・マンションなど個別の敷地の緑化策を加える必要があります。これら三層構成の緑化策を進めることが、緑のまちづくりにつながっていくわけです。
夕陽丘の樹林環境(2) 2014年10月号
みどりの実態調査②
〈高口長老〉夕陽丘の樹林・緑地調査から読み取れる大事なポイントは何でしょう。
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前回、夕陽丘地域には胸高幹周が3m以上の大きな樹木が16本あると述べました。樹木総数953本のうちの16本ですから、1・7%を占めているということです。環境省では1973年以来、自然環境保護の基礎資料を得るために、「巨樹・巨木調査」を進めています。地上から約1・3mの位置での幹周が3m以上の木と定めており、この規準に合わせてみたものです。2000年次の調査では、全国におおむね13~15万本の巨木があるそうですが、夕陽丘の16本はそのうちの0・01%強にあたります。
幹周別に見た樹木数(本)
*
*1.0m未満には幹周辺不明の樹木数を含む それが多いか少ないかの判断は難しいのですが、国土の3分の2は森林というわが国ですから、巨木の多くもまたそういった場所に生育していると思われます。ですから、都市市街地のまっただ中の夕陽丘エリアにおいて一定の巨木群を維持し得ているのは、貴重であり、かつ大いに評価しなければならないといえるでしょう。
図に示した幹周別の樹木数からは、巨木をその頂点にしながら、たくさんの樹木が一緒に仲間をつくって森的な景観をつくっていることが分かります。前回見た樹種構成の多様さも含めて、夕陽丘は、都市内部の重要な森林緑地―「巨木の森」と名付けてもいいのではないでしょうか―でもあるということです。
このような状況を踏まえると、これらを積極的に保全・育成していくことの重要さが分かります。しかし、樹林群を良好な状態で維持していくのは容易ではありません。近年の動きをみると、境内地の整備や墓地造成などが樹林を壊しつつ進行していることが分かります。地域の樹林群の実情・動向を念入りに確かめ、保全・育成策を充実させる必要があります。次には我々が行った調査結果から、このような作業に有用と思える視点・考え方をいま少し紹介しましょう。
夕陽丘の樹林環境(1) 2014年9月号
みどりの実態調査①
〈高口長老〉夕陽丘の風致景観の主要な資源である樹林・緑地の現状を整理してくれますか。
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この数回、公園予定区域の廃止や風致地区制度の位置付けなどと関連させながら、上町台地西端の「崖線景観」「斜面緑地」の維持・保全策などについて述べてきました。今回は、これを形作っている具体的な樹林群の現状、つまり夕陽丘みどりの実態を見ておきたいと思います。どんな種類の、どんな大きさの樹木がどれほどあって、今に見る夕陽丘の緑地的環境をつくっているのか、ということです。
2007年ですから、7年前になりますが、高口長老の示唆もあって、当時在職していた大阪芸術大学大学院の学生たちと共に現地調査に取り組みました。その際の結果を紹介します。
調査を進めた範囲は、夕陽丘台地西端の斜面緑地一帯で、南北は千日前通りから国道25号までの約1・5㎞です。高さもしくは樹冠(枝や葉の茂っている部分)の幅が5m以上の樹木を調査対象とし、このエリア内にある合計953本について、樹種・樹高・樹冠径・幹周などを調べました。
樹種では、最も多かったのはクスノキの238本で、全体の25・0%、続くエノキ131本(13・7%)、ムクノキ105本(11・0%)の3種でほぼ半数を占めており、このほかケヤキ73本、サクラ72本、イチョウ49本、モチノキ41本などが比較的目立つものでした。
樹木の大きさを、胸高(約1・3m)での幹周によって測る方法があります。大きな樹木では、3m以上が16本、2・5~2・9mが17本ありました。これ以下を50㎝刻みでみると、2・0~2・4mが69本、1・5~1・9mが135本、1・0~1・4mが24本のように分布していました。幹周1・0m以上の樹木は、合わせて461本ということでした。対象樹木全体の半数強はそれ以下ということでした。
夕陽丘らしい「まちなみ景観」⑨ 2014年8月号
市街地の風致について
〈高口長老〉公園予定区域の廃止と風致地区制度のつながりについてもう少し説明してくれますか。
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前回は風致地区という都市計画の仕組みについて述べましたが、読み返してみると、もう少し説明を補う方が良さそうに思います。
夕陽丘地域で言うと、公園予定区域という枠組みが外されたわけですが、それはこれまでの自然風致などの維持保全策に大変更が加えられたということです。これによって、公園予定区域が課してきた建築物の新設の抑制・禁止の項を廃されたことが大きな変更です。今後は風致地区制度の運用によって同等の効果を保持していく必要があるし、それは十分可能であるというのが今回の大阪市の判断ということです。
このシリーズで、私が繰り返し記述している話題として、上町台地の西端崖に連なる樹林群やその景観の素晴らしさ・重要性があります。下寺町側から見える樹林の連続景観の魅力を守っていきたいということです。これが可能になっているのは、樹林地の大半が社寺境内に含まれていることによります。北寄りの生玉公園では、写真のように、これら樹林群が都市公園として整えられた姿を確かめることができます。このような緑地が夕陽丘地域を南北に縦断する風景が、実は公園予定区域のイメージでもあったと考えます。今回の改定では、このような樹林保全を風致地区制度に委ねることになったという風に理解しなければなりません。
生玉公園における台地崖部の樹林軍風景 そこで、これからは風致地区制度の運用をしっかり進める必要があるということになります。はっきり言えば、この点に関して大阪市の取り組みはさほど厳格であるとは言いづらいと私は考えています。今回の制度改定の中で風致地区が敷かれているから大丈夫と説明はされているものの、では担当者を増員しますとか、担当部署を拡充しますといった具体的な対応策が示されてはいないわけです。上述のような期待を満たしてもらえるように、市民各層からの後押しがほしいところです。
夕陽丘らしい「まちなみ景観」⑧ 2014年7月号
市街地の風致について
〈高口長老〉まちなみ景観というテーマは、この地域の風致地区制度とどのようにつながりますか。
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夕陽丘では、上町台地西端部の緑地および社寺地を中心に、都市計画の仕組みの一つである「風致地区」がかけられています。これは樹林地その他の自然景観や歴史的遺産などの多い区域を選び、その風致的環境を維持するために指定されるもので、大阪市では上町台地を中心に6地区約360㌶(うち夕陽丘地区は27㌶)について、建築物の建築・修繕や宅地造成、木竹の伐採その他について許可基準を取り決めています。
そういう風に述べると面倒そうに聞こえるかもしれませんが、前回述べたように、緑地や社寺のふりまく環境的な魅力にマッチした関係をつくる都市計画として捉えると分かりやすいと思います。風致地区における許可基準のエッセンスを夕陽丘向けに翻訳するとそんなことになると考えます。
指定範囲の大半は、社寺境内地および一部学校施設などの中大規模な敷地ですが、前回紹介した住宅敷地なども含んでいますから、上記のような考え方に沿って個々の建物や敷地デザインが整えられ、水準の高い市街地ができ上がっていくことでしょう。
風致地区の概要図(大阪市ホームページより) なお、付記したいのは、今年から風致地区制度の果たす役割が大きくなったことです。2014年3月の大阪市都市計画審議会で、長期未着手の都市計画公園・緑地について見直しが進められ、夕陽丘地域では風致地区の大半に設定されていた公園予定区域が廃止されました。予定区域では環境維持のための開発制限などが課され、役割を果たしていたのですが、これが風致地区という制度のみに背負わされることになったわけです。今後は建て主だけでなく、行政担当者のデザイン力や指導力が問われることになります。さらにはそんな経過が受け継がれるなかで、風致地区には指定されていない隣接市街地―つまり夕陽丘地域の全体―にも環境的な影響が及んでいくことが望まれます。
夕陽丘らしい「まちなみ景観」⑦ 2014年6月号
内部市街地のまちなみ
〈高口長老〉谷町筋から西寄りに入ると、戸建て住宅や小ビル、それにマンションなどが入り混じる市街地です。「まちなみ」にはどんな特徴がありますか。
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幹線道路を入り込んだ、一般的な道路からなる町を内部市街地ということがあります。夕陽丘地域では、谷町筋から西寄りに入った一帯がそれにあたりますが、中小規模のビルや低層の住宅が混じり合い、最近では中高層マンションがこれに加わってきています。その様子は都心周辺の一般市街地と大差ありません。しかし、少し歩くと、突き当たりにお寺や神社の屋根や塀、あるいは樹林が見え隠れするなど、特有の地域らしさがあることに気付きます。多種の建物が混在していますが、社寺地域としての景観的な特徴を共有しており、一般市街地とは一味違うまちなみがあるわけです。
少し具体的にみると、地域の北部では寺院と住宅・宿泊施設等が混じり合っているのに対し、南部では業務施設と住宅が混在するなど、土地利用上の相違もあります。また北部では墓地を構えた寺院が多く、空間的なゆとり感がありますが、南部では敷地をいっぱいに使った中低層建物など密度高い市街地のなかに中高層マンションが入り込んできているようです。谷町筋から見える大江神社の鳥居それでも社寺施設や緑樹などにより、恵まれた近隣環境が形成されているエリアということになります。
今後のまちなみづくりには、社寺の及ぼす環境的影響力が大きいなかで、これとどのような関係・折り合いづくりに配慮するか、その考え方を定めることが重要でしょう。例えば建築物については勾配屋根・敷地緑化への配慮とか、ざっくりと和風を基調とする方向など、地域のデザインポリシーを取り決めるといったことです。社寺サイドとしても、住宅群との共存に注意を払うべきは言うまでもありません。長々と続く塀がコンクリートブロック造であったりするなど、あとひと工夫、まわりへの気遣いがほしいなあと思うこともよくあります。
夕陽丘らしい「まちなみ景観」⑥ 2014年5月号
新しいビル型まちなみ/谷町筋
〈高口長老〉谷町筋は代表的な幹線道路ですが、「まちなみ景観」の見方からするとどうなりますか。
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夕陽丘では前項までに見たように、塀や緑を含む社寺建築が目立つ「社寺型まちなみ」が優勢ですが、この他にビル建築や住宅などがまちの輪郭をつくっている地区もあります。夕陽丘一帯では一番の南北幹線道路・谷町筋を考えてみましょう。
谷町筋は地域色豊かな「ビル型まちなみ」景観をもつ道路になってきたことを、まず強調したいと思います。ここは、1960~70年代の地下鉄網拡充・建設に伴って、古くからの狭い道路から幅員40mの立派な道路に整えられました。沿道建物はその後徐々に整備されてきたわけで、現在のまちなみの歴史は50年を超えないということです。面白いのは、江戸初期以来この場所に集まっていた寺院群が、コンクリート造などの新しい姿形で立ち現れてきたことです。四角っぽい現代ビル風のお寺もあれば、伝統的な瓦屋根をのせたビルもあります。ゆったり続く塀越しに在来風の建て方のお堂を見ることもできます。
そして、これらがごく普通のオフィスビルやマンションなどと混じり合い、谷町にしかない「ビル+現代的寺院」のまちなみが出来上がりつつあります。幹線道路の創設・建設が、歴史的な資産を現代的な形・構造へと変化・誘導し、固有性豊かな大通り景観をつくってきています。
1960年代についてさらにいえば、上六交差点近くに、足元は店舗や事務所床、上階に共同住宅を積んだ形の商住並存型高層ビルがいくつか建設されました。俗に「ゲタ履き住宅」などと呼ばれますが、当時の日本住宅公団(現在はUR都市機構)が沿道型住宅の新提案としてチャレンジしたビル建築です。いまこそ、この考え方を再評価し活用すべきものと私は考えています。
谷町筋はこのように、今までにない建て方・作り方の沿道建物を具体化してきた新しいタイプのビル型まちなみです。地域のその他の幹線級道路もまた、おおむねこのような歴史的特性を引き継いでいるように思います。
夕陽丘らしい「まちなみ景観」⑤ 2014年4月号
生玉寺町の道路環境づくりを
〈高口長老〉生玉寺町も、夕陽丘を代表する社寺型のまちなみですね。
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この地域の南北道路のうち、下寺町は上町台地の西側足元にありますが、これを上りきったばかりの海抜20mレベルに走るのが幅員9mの生玉寺町です。谷町筋や下寺町、千日前通などの幹線道路に囲まれた夕陽丘地域の北寄り市街地内にある中心的道路でもあります。夕陽丘の東西横断ルートの一つ、学園坂の1ブロック北側から千日前通まで、ほぼ700mの長さです。
その南半分にあたる約350mの区間では両側ともに7件の寺院境内地が並び、築地塀と山門の連続景観がまちなみを特徴付けています。歩いていくと、この地域の寺院らしく、かさばらない規模のお堂の屋根や整った樹木・庭先などをのぞき見ることができます。人々の気持ちをほぐしてくれる魅力的な散策道といえましょう。一方、道路そのものはアスファルト舗装のままで、平凡な表情にとどまっています。
このルートの景観まちなみ向上には、人々が歩きたいと思えるような道路環境づくり・デザインなどの工夫が有効でしょう。かつて私は高口長老の勧めにそって、当時在職していた大阪芸術大学大学院の学生たちと共に夕陽丘地域のまちづくりについて提案したことがあります。図に示したスケッチ案はその一部ですが、上述のような願いを込めて考えた、生玉寺町の歩行環境の整備・デザイン策です。
路面等の緑化と自動車交通の抑制などを含めたこの提案は、源聖寺坂からつながる生玉寺町北半分の、生玉公園と生國魂神社が両側に広がる「緑地+オープンスペース型」の環境に連続し、融合していくことができるものと考えます。
このほか夕陽丘では、源聖寺坂や口縄坂、一心寺坂などの、社寺塀や山門群が要となる傾斜路・坂道のまちなみ景観も魅力的です。そのほかの坂道も含め、本シリーズの9~17項に個別に紹介した所を見直していただければと思います。
夕陽丘らしい「まちなみ景観」④ 2014年3月号
下寺町のまちなみ策
〈高口長老〉下寺町の南寄りエリアを含めて、まちなみ景観のレベルアップ策を話してください。
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下寺町を南に向かって東側のまちなみを見ていくと、社寺群が途切れ、オートバイや車の修理・販売のお店などが目立ってきます。社寺と車という異色の取り合わせには、大阪らしい面白みを感じます。北寄りのエリアは緑地の見え方保全策を強化したいものですが、南寄りでは異なる取り組みが必要です。
大江神社に向かう小道から国道25号の間350m余りの土地利用は、近代初期になって下寺町が延伸された後に形成されたものです。具体的には明治36(1903)年の第5回内国勧業博覧会に向かうアプローチとして新しく設けられた道路沿いが、博覧会の後、まち外れの農地から一般市街地へと整備、利用されていったわけです。
現行の都市計画による「風致地区」指定は社寺の並ぶ一帯で終わり、容積率も南寄りのエリアでは上限300%(北よりは200%)になっています。これら条件が作用してのことでしょうが、ここでは近年、中高層のマンションなどが建ち始めています。
こうなると、下寺町の東側の背景としてあった台地端の崖線(がいせん)緑地が建物で隠されてしまいます。これまであった低層建物と後背緑地の組み合わせからなる、まちなみ景観に大変化が生じているのです。
では、落差15m強の崖線緑地がつくり出す景観的効果を維持していくうまい方法はあるのでしょうか。今のところ、写真のように、東向きの道路の交差点や高さのある建物の隙間、所々には低い建物の背後に樹木等の緑が見えます。このような、見え隠れしつつも台地の緑を確かめ得るデザイン誘導策を位置付けることができればと考えます。
まちなみのレベルアップ・深化を図る上では、背後に控える地物・緑地などを含め、景観をつくっている要素を丹念に拾い上げ、これらをひっくるめて、まちなみ景観というものが成立していることを頭に入れておく必要があるということでしょう。
夕陽丘らしい「まちなみ景観」③ 2014年2月号
下寺町の面白み
〈高口長老〉下寺町のまちなみ景観をレベルアップしていく上で考えるべきことは何でしょう?
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前項では、後背緑地を持つ社寺群のまちなみを、下寺町の景観的な特徴であると述べました。とはいうものの、この通りの南寄りや西側にはこれとそぐわないかに見える規模や形状・デザインをもつ建物も建ち並んでいます。まちなみ景観を整える上では相反するかに思えるこの2方向をどのように理解することができるのでしょうか。
下寺町の西側には10階以上のビル―多くはマンション―が増えてきています。その流れは北寄りで特に強く、東側の社寺群と西側の高層建築群という、言ってみれば不釣り合いで違和感のある通り景観を見せています。ごくごく常識的には、道路の両側のまちなみが似通い、あるいはそろっているほうが景観の一体性が感じられるなど、好ましいといえます。ですが、必ずしも通り一遍に考える必要はありません。
東側の社寺群と西側の高層建築群が対照的な下寺町のまちなみここでは、通り西側は大阪の古くからの一般市街地にかかる「商業地域」、東側はゆったりした敷地利用の社寺群に対応すべく「第2種住居地域」という、それぞれの用途地域指定が働いています。後者にはさらに自然環境維持のための「風致地区」指定がなされるなど、都市計画等に定めている条件が、現実のまちなみ形成の背後にあるわけです。
そして、これら地域指定の区域境界が道路中心線に敷かれていることが、両側のまちなみをくっきり仕分ける役割を果たしていることに気付きます。これは、上町台地と平地を区切る崖線(がいせん)の境目という自然条件や、固有性の高い敷地利用を特徴とする社寺敷地群という歴史的条件などが重なる、類例の少ない地区的事情によると思われます。そういう意味では、ここに見られる「ちょっと見」のちぐはぐさの中に、多種多様の要素が複雑に絡み合う都市空間の面白みを読み取るべきかもしれません。